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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

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Dな食卓を作るにあたって、スキットを用意しました。プレイ中、特定の条件を満たすことで開始される寸劇のような物です。3分ゲーでなぜそんなものを用意したかと言うと、実際、過去の3分ゲーに応募した作品を遊んだ際、次へ次へと流れ作業のように手を付けて応募される数をこなすうちに、短編に正直飽きてきていました。よって、フルコンプに数時間とあえて逆を張った訳です。結果として堂々の一位を達成しました。(マイナスに突入してのワースト1位ですがw)

 結果としては最低だったが、成果としては最上だった。と思っています。

 プレイ時間を延ばすために用意したスキットだったが、段階的に見てもらわなくてはならないのでそれなりの数を必要としました。その数、実に34個。正直なところタイトルをひねり出すだけでも苦労しました。特に戦闘回数は。

 Dな食卓において、スキットは箸休めのようなものなので、短くて、笑える、をなるべく目指す必要がありました。かといって、余り短いと味気が無いものになります。一定以上の長さが必要でした。長さを確保しつつ、つまらなさを回避する方法を模索しなければなりません。そこで「受けゼリフ」を使用しないよう気を付けました。

 受けゼリフとは「相手に同調するだけのセリフ」で、これを用意しないよう出来るだけ質問だったり、否定だったり、ボケだったり、嘘だったりを繰り返して会話を行うようにしてみました。その際、こいつならこういうだろうと言う設定が有る程度必要となりましたが、これも書いているうちに徐々に出来上がっていきました。

 やっていて面白かったのですが、同調しないで否定してやることで、こいつは否定されたらこう言うだろう、それを受けてこいつはこう言うだろう、とぽんぽんぽんと話が楽々と進んでいってくれまして。なので、作業前には軽く絶望していた作業量でしたが、作業時間としては思ったほど長くはなりませんでした。

 遊んだ人からもスキット部のギャグパートはそこそこ好評で、箸休めとして上手く機能してくれていたのだと思います。これがもし、同調するだけのセリフを中心に水増しされた会話であったら、もっと評価は低くなっていたと思います。

 よって、作品の会話のテンポが良くないなと感じたら、同調しているだけのセリフが無いか見直してみると良いでしょう。コマンドーでもシュワちゃんが「OK!」と同調しているがその実、右手は引き金を引いて相手を殺害する名シーンがあります。同調しているように見えて、本当は否定していて笑いを誘っている。名翻訳なのですが、コマンドーの翻訳であちら側が定番として定着しているのもこの受けゼリフを上手く応用したからだと思います。
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損のデザイン

限定された期間
 あり
リソースの管理
 なし
明示された選択肢
 あり

分析と感想

 順番などを決める時非常にお手軽ですぐに決着がつく便利なゲームです。グーチョキパーの3つの選択肢から一つを選び、同時に出さなければいけない都合上、限定された期間が存在します。

 色々な派生があり、上にどういったものを付加価値として載せれば面白くなるか、のサンプルの宝庫とも言えます。

 例えば勝った手によって進める歩数が異なるグリコ。チョキとパーが6文字なのに対してグリコは3文字。多く進みたいときはチョキかパーで、チョキはパーに勝つのでチョキを出したい欲求にかられます。となると、その裏をかいて進めないがグーを出す、もしくは、さらに先を読んでパーを出などの心理戦が繰り広げられます。もっとも、小さいときはそこまで考えていないかもしれませんが。大人になってからやるとこれが意外に面白いんですよね。

 他、あいこになった際に「ドン」と先に言った方が勝つ「グリンピース」。勝った方が特定の方向を指さして、顔がそっちを向いたら負けの「あっち向いてホイ」などは、ゲームとしての面白さよりも、途中起るハプニング等で笑いが起こる事が多々あります。

 一定のリズムで繰り返されるため、ちょっとしたトランス状態になるのも影響していると思うのですが、例えばグリンピースで手と口が違うとか、連勝していたため癖がついてしまい、負けたにもかかわらず方向を指さしてしまうとか。時々「あっち向いて」のタイミングで両者同時に手が上がるなど、おかしな事が多々起ります。

 特にゲーム中に起こる笑いに関しては桂枝雀の言う「緊張の緩和」につながる部分もありまして、ゲームの解析自体は特にこれと言った面白みも無いのですが、じゃんけんで遊んでいる人の観察というのは、実は結構な価値があるものではないかと思います。

リスクとリターン

 桜井政博氏曰くゲームとはリスクとリターンとの事です。ジャンケンに関しては選択肢そのものがリスクでありリターンであると言えると思います。

リスク
 この手は負けるかもしれない
リターン
 この手は勝てるかもしれない

 どちらかというとジャンケンそのものは決定の手段であって、何を決定しようとしたのか、その内容の方にこそゲーム性が有るような気がします。

 例えば洗い物を誰がするのかであったり、商品を誰がゲットするのかであったり、負けると罰ゲームが待っていたり。そう言う所にゲーム性が産まれてジャンケンを面白くしているような気がします。これは我々ゲームをデザインする側にとっては非常に大事なメッセージでは無いかとも思うのです。

 つまり、ゲームを面白くするのは判定方法ではない。という事です。もっと言えば、ゲームを面白くするのはゲームシステムではない。という事だと思うのです。

 面白いゲームの判定方法をジャンケンに変えても面白いゲームはそのままでしょう。逆にジャンケンで面白いゲームを作れたら他のシステムに乗せ換えても面白くなるはずです。まずどういうゲーム性を用意するのか。リスクとリターンを準備するのか。

 とかく作り手としては拘ったシステム、画期的なシステム開発にとらわれがちですが、面白さはそこには無いよ、というのを示してくれているように思います。

 最初にジャンケンやダイスロールなどの単純な仕組みを用意して、それで面白くなるかどうかを検証していく。開発の手順としてはこっちの方が良いのではないかなと思いました。
パソコンは意外とすぐ壊れます。しかも困ったことに突然壊れて、下手するとそのデータを復旧させることが出来なくなります。これの対策はバックアップを取ったり、専用の機械を使ってサルベージしたりと言う手段があります。ただ、前者は習慣の無い個人ではつい忘れてしまうものですし、後者はそれ専用の機材など個人で持つ必然性は全くありません。

 運悪くバックアップを取っておらず、パソコンが立ち上がらなくなった場合はどうするか。ショップに持って行って修理などをお願いすることになります。

 ある日、うちの母親のパソコンが立ち上がらなくなりました。パソコンにはそんなに詳しい人ではないので、当然バックアップなど取っていません。講演や舞台の台本の原稿、チラシのデータなどが入っていたので、データを取り出さないと仕事にはならない状況です。サルベージする機材などという存在を知るはずもない彼女は、某ショップにパソコンを持ち込み「データーを取り出して、後は処分してくれ」と頼みます。後日、連絡があった内容はこうでした。

「ハードディスクを取り出して破壊機にかけましたので、もう大丈夫です」

 ……データは?

 不幸中の幸いだったのは、原稿に関しては打ち合わせのために他の人にデータを送っていた事と、チラシに関してはデザインをした人の所に元データがあったため、近々の物に関しては大きな支障は出なかったものの、こんなことが有ってと愚痴の電話をこちらによこしてきました。

 もしHDDを破壊機にかけられたのが自分であれば、損害賠償を起こすレベルの不祥事です。何せ作りかけの商品データが入っているのですから。

 ショップ店員と言うプロでさえ、「処分」しか耳に入らないようなハズレに遭遇してしまうとこの様です。と言うわけで、目の前にあるHDDに100%の信頼を置いてはいけません。

 より高い信頼度を得るためには、そもそもデータを預かり、管理し、保守するプロを頼るのが一番いいでしょう。簡単に言ってしまえば、ブログやホームページのレンタルサービスを行っている業者を利用することです。

 非公開のブログ等を一つ用意してしまえば、そこに原稿や設定などのテキストを思いつくまま記入していけるし、何よりもネットさえ繋がれば、出先で加筆修正が出来ると言う強みがあります。

 おすすめはwikiのレンタルです。

 ブログだと、心理的に完結したものを作らなければいけないと思ってしまいますが、wikiであれば気軽な更新が可能で、何よりもサイト内リンクを設定しやすいためページ内を巡りやすくなります。用語集を作りやすい設計なので、創作活動の設定や、制作時のメモなどを残すにはうってつけで、ことテキストに関しては検索が出来る都合上ローカルに残すよりも圧倒的に便利です。

 転ばぬ先の杖として、一つ導入をお勧めします。もちろんテキスト以外のバックアップはちゃんと取りましょう。

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3分ゲーにDな食卓を出した際、この人は本当にゲームをやったんだろうかと思うような感想が寄せられました。公表するとここを読み返すたびに気分が悪くなるので控えますが、ブログでもコメント欄に突然意味の解らない批判を書く人がいます。

 わざとそういう、マスコミのような作為的な引用をして批判しているのかと一時期考えていたのですが、2chその他でこちらを執拗に批判する人物とたまたま直接話す機会があったので対話を続けてきた結果、どうやら本気でそういう部分しか目に入っていないらしいという結論にいたりました。文章は頭に入っておらず、非難する材料だけを探し、それを槍玉に上げていただけでした。

 当然の事ですがそれに同調する人も全文を読みません。それどころか公表されている一次ソースにも当たろうとしません。また、それを指摘されたとしても改めようとはしません。非難することが目的であって、自分の正当性などどうでもよく、ただ対象の気分さえ害することが出来ればそれでいい、その程度の人なんです。

 試しにどこかその人の意見で賛同できる部分を賛同してみてください。大体の人はそれまでの自身の意見を曲げ、賛同してきた本人の意見を捻じ曲げて罵倒を続けます。最初から罵倒が目的の人ですから付き合う必要はありません。

 往々にして批判をする側はいろんな意見を受け入れろと無責任な事を言いいますが、強い主人公がいい、と言うのと弱い主人公がいい、という矛盾する意見を取り入れた結果中途半端な駄作が出来上がった場合、誰が責任を取るのでしょう? 評価を落すのは作った本人で、批判をした相手ではないのです。

 すべての意見を取り入れることは出来ません。どう転んでも、一部の人間しか相手にできません。一部の人間しか相手にできない以上、どこかでそのターゲットから外れる人はでますし、その人が不満を持つのは仕方ありません。その不満に対して気を使って、良い顔をしようとするから意見にもおかしな部分が出てきます。

 もし、自分自身が間違っていると思った場合は素直に頭を下げるべきです。だが、そうでないのであれば、無視するか適当な返事を返しましょう。そういった心の歪んだ人種の相手を無理にする必要はありません。
ご存知の方いらっしゃると思いますが、自分は元オペラマネージャーです。その業務中こんなことがありました。

 その日の業務は、あるオペラの公演のチラシを作る事でした。リテイクを出され、不本意ながらデザインを変更させられたのです。研修生の公演であったのもあり、どこで行われる公演で、チケット代がいくらなのかと言う部分が解るようにしたデザインで、内部での評価は高かったのですが、担当している先生のお気には召しませんでした。

 変更点は以下の物でした。

・出演者の名前を大きくする。
・和風の演目、洋風の演目それぞれで出演者のフォントを統一。
・会場に関する情報はもっと小さく。

 ……誰のためのチラシなのか、と言う部分で大きな食い違いがありました。先生は出演者のため、自分は来場されるお客さんのためをそれぞれ意識していました。とはいえ歯向かう事もできないため、渋々新しいデザインを送信しました。すると次は出演者の文字をもっと大きくしろとの事でした。即座に修正しなおし、FAXを送り、「いいじゃないこれ、これで行きましょう」と了承を得ます。

 翌日。

 朝一の電話はお怒りの電話でした。

「あなた、なんで出演者の字がこんなに大きいの!」

 お前がそないせぇって言ったんちゃうんかいと半ギレになりつつ、すみません、すぐに直しますんで、と言って、昨日送った修正前の物をFAXで送信したところ、返ってきた返事は「いいじゃないこれ」でした。

 この当時は一介の社員に過ぎなかったので致し方ない部分ではありますが、出来上がったチラシは自己顕示欲の塊の醜悪な物で、駄作と言わざるを得ない物でした。自分の力及ばず駄作になったのであればともかく、第三者の自己顕示欲で駄作に落とされた感覚で、正直作品に泥を塗られた気持ちでいっぱいでした。

 この一連の流れはオペラがなぜ廃れたかの理由を良く表している作成過程と言えます。つまり、自分たちのための歌、自分たちのためのチラシ、自分たちのための公演が目的だから廃れたのです。

 怒られたりクレームが来る事に対して恐怖を抱いていた、と言うのも正直あります。逆らいようのない上下関係、そして自分の失態は他の人にも波及するという強迫観念のようなものもありました。それゆえに先生の言う事を聞き自分の作品を曲げてしまいましたが、これがもし、どこかで対等な立場であれば、強く反論していたと思います。それで仕事が無くなっても構わない、と言う気持ちでここでナマイキな事を言うべきなのです。お互いのために。

 オペラが腐ったのはナマイキな人がおらず、先生を持ち上げ、持ち上げる生徒だけを優遇し、そして何よりも高すぎるチケットノルマという障害のせいで、歌の実力よりも金持ちかどうかで主役が決まってしまう環境が主な要因に挙げられます。生徒側も先生を選ぶ際、実力よりも主役をしたことが有るという肩書で選んでしまいます。ほとんどの人がなぁなぁでやっていました。結果として残ったのは、娯楽は元来商売であると言う当たり前の部分を忘れた人たちです。
(主役級は300万にやや満たないぐらいのノルマで、構造としておかしいと言わざるを得ません)

 研修生の段階ですら、チケット代を支払い、さらには往復の時間と交通費を使わせた来場者の側を向いていません。チラシ一つとっても、客席よりも自分たちを優先するその姿勢が、恥ずかしいと思わないのかと、ナマイキをいってぶつからなければならなかったのです。マネージャーだったんですから。マネジメントする対象が儲からないと、マネジメント業は儲からないはずなんです。

 生意気と失礼は違います。言葉遣いなどによる失礼は避けるに越したことはありません。だけれども、生意気さは真剣に取り組むからこそ生まれてくるものです。特に表現者はそのナマイキさをもって、共演者、共同で作業する人、そして観客と世の中に喧嘩を売るのが仕事なのですから、このナマイキを失ってはいけません。

 これを言ったら失礼かな? と思われそうなことは、表現や言い方を探したり、言わないように心がけるのは正しいと思います。しかし、これ言ったら生意気だと思われるかな? と迷った事は言いましょう。きっと思っていたよりもいい結果になるはずです。
  
プロフィール
HN:
色々ありすぎでどれを名乗ろうか
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男性
自己紹介:
素材屋GY.Materialsを運営。
TRPGや同人ゲームなどを制作。イベントプロデュース等。
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