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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

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ゲームを立ち上げた最初の画面、ここがカッコよくなればゲームに対する印象も良くできると思います。特に最初の画面は紹介記事などでも一番使われる所ですから、できるだけ拘りたい所です。ここで地味に重要になってくるポイントがゲームロゴです。これが結構悩ましいんです。

 ロゴがどういう物かというと、基本的にはそのゲームの世界観を表すようなものです。どういった加工をするかはどれだけ凝るかの話なので、ここは本人の気のすむまでとしか言いようがありません。しかし、加工を施したところでインパクトの無いものは無いですし、加工をしなくともインパクトの有るものは有ります。この差はどこにあるのでしょう?

 という事で研究としていくつかロゴを見比べてみました。これは、と思った物と思わなかったものを自分なりに分析してみて少し見えてきたものがあります。

 まず、これはと思った物が以下の3つです。

メガテン
艦これ

ウィニングポスト

 この3つにはある共通点があり、これはと思わなかったロゴにはこの共通点が存在していませんでした。よって、この共通点に当たる部分を機械的にやれるようになれば、ノウハウとして成立するのではないかと思います。

視線と印象との衝突

 一番解りやすいのは真・女神転生のロゴです。


 イタリックで右に傾き、転だけが少し下に下がっています。特にこれと言った装飾もされていないにもかかわらず、なぜかインパクトが非常に強いロゴです。

 これは全体的にイタリックで右斜め上に意識が向けられるのに対して、目線の動きは「転」で一旦下がり、「生」で右上に上がる為だと思われます。

 この意識と視線のぶつかりがインパクトを産んでいるのではないかと仮説が立てられます。艦これにも同様の事が言えます。



 ロゴ全体は右上に上がってるのに対して「これ」は読む際に右下へと下がります。そして、地味に碇が右下に向いており、「れ」を読んだ段階でさらに下方向へと意識がむけられます。碇に意識が向けられた場合は「艦」から「こ」に向かう際に視線と意識がぶつかりますし、ロゴ全体、特に船に意識が向けられた場合は「これ」を読んだ際に視線と意識がぶつかります。

 ウィニングポストはもっと解りやすいと思います。




 文字は左から右に読むのに対して、競走馬は左を向いています。視線の動きと意識が中央でぶつかる形です。これによって、ぶつかる直前の「win」がより強調され、競馬、競走馬で勝つというゲーム内容そのものを非常によく表しています。

 という事で仮説ですが、インパクトの有るロゴを作るためには、意識の向けられる方向と、視線の動きをどこかで逆にすれば良いのではないかと思われます。

 ロゴの良し悪しでゲームの内容が変わるわけではありませんし、ロゴの良し悪しでゲームに対する評価が変わるわけでもありません。ただし、ロゴにある程度のインパクトがあると宣材としても使いやすいので、告知はやりやすくなります。

 ゲームを作った後でもロゴには案外悩まされます。一定のルールのようなものを身に着けておけば、余計な悩みからは解放されるのではないかと思いますので、ご活用ください。
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分類

 小物

処方

 ムー的な超科学を心の底から信じる人。適当にうなずいてやれば喜ぶので話を合わせてやればよい。

概要

「こういう不思議な事を知ってるんだぜ」と語ることで自己肯定する術を身に着けてしまった人で、基本的には相手の話を聞かずにべらべら喋ります。

 相手の表情を読み解くことが非常に苦手で、顔を見るよりも喋る方に意識が集中します。よって、相手の顔や目を見ず、うつむきがちに喋ったり全然違う方向を見て喋ることがよくあります。本人もイメージを思い出しながらしゃべっているため、自分の顔がどちらを向いているかについてはあまり意識していません。

 自身がオカルト的な内容を否定された場合には断固としてそれを肯定しません。科学的な検証結果等を示したとしても政府の陰謀などとし、たとえ目の前でその実験を見たとしてもどこかに陰謀が隠れていると言う妄言を展開し決して信じようとはしません。対して同好の志の言動に対してはなんの証拠が無くともそれを信じ、同調します。

 人間慣れしておらず相手からの評価をあまり気にしないため、話し方がたどたどしく整理がついていません。また身なりにもあまり気を使わない傾向が強いです。

 NPCとして登場させる際には、味方でも敵でもどのポジションでもそれなりの活躍が期待できます。味方の場合は、他にはないユニークなスキルを持たせたり、敵の場合は世界観とは逆の方向に向かった妙な手ごわさなどを持たせると際立つと思います。

 とにかく、周囲とは違ったベクトルを信じ込んでいる事。世界観から思想を逸脱させることで、逆に世界観を固定化させるスイカの塩みたいな役割を果たしてくれます。よってストーリー全体としては小物ではあるが、作品としては重要な調味料になりうる存在です。

 なお、ムー自体は我々創作活動を行う人間にとっては世界観の資料ともなりうる価値ある雑誌です。(と言うフォロー)

損のデザイン

限定された期間
 あり
リソースの管理
 あり
明示された選択肢
 なし

分析と感想

 双六の発展形で、ほぼモノポリーと同じデザインのゲームです。双六にリソース管理を足したもので、モノポリーで形成された破産、独占、競売などの基本要素を踏襲しています。

 モノポリーと異なる点は、生き残りを目指すのではなく目標金額を溜めてゴールをする事や、株価の購入、カジノなどで、これらは上手く付加価値として機能しています。

 4人プレイのパーティゲームではありますが、4人に満たない場合はCPUが担当し、CPUに様々な個性付けをしたり、舞台となる盤面を複数用意する事で飽きさせない仕掛けが施されています。

 盤面のデザインが自由である事や、CPUの個性付けは無限の可能性を持つため、世界観を乗せ換えるなどの変更が容易です。この容易さのお陰で続編を出しやすいという利点もありました。

 モノポリーがそうであるのと同様に、プレイヤーは止まったマス目での物件購入や買い物によるリソースの増減に一喜一憂し、無事一周できた時の喜びは買い物の金額が大きくなるゲーム終盤になればなるほど大きくなります。

リスクとリターン

 桜井政博氏曰く、ゲーム性とはリスクとリターンとの事です。いたストの場合、ほぼモノポリーですので、リスクリターンについてはモノポリーと同様にお金の使い方でしょう。

リスク
 所持金が減る
 ゲームオーバーに一時的に近づく
リターン
 高い収入を得られる機会が増える

 記憶が確かならモノポリーには株の要素は無かったはずですが、これも要素としては同じですね。

損のデザイン

限定された期間
 あり
リソースの管理
 あり
明示された選択肢
 あり

分析と感想

 ハドソンが開発したゲームで、双六の発展形です。モノポリーに近いゲームデザインだと思います。元々はさくまあきら氏が自作し仲間内で遊んでいたボードゲームで、電卓の計算が追い付かなくなったためコンピューターゲームにしよう、という事で制作が進められたものとの事です。

 何年遊ぶか、と言う形で期間が決められ、1年に一度決算と言う形で大きな収支が決定します。また、双六なので他のプレイヤーがゴールするまでのプレイ時間も一つの期間として機能しています。

 目的地となる駅で停車した際に商店の購入が可能ですが、これら購入した商店は決算や所持金が足りない際にリソースとして機能します。また特殊カードもリソースとして機能し、もちろん所持金もリソースとして機能しています。

 通常の双六と異なり、どの方向にも出た目の数進むことが出来ます。ただし、往復で2マスという移動方法は使えず、その場に留まりたい場合などは周回してくるしかありません。また、目的地へ進まないと言う選択肢もあるため、戦略、戦術の幅は非常に広く存在します。

 目的地に誰かがたどり着いた際、一番遠い所に居るプレイヤーには貧乏神がはりつき所持金などなどを次々に消費していきます。他のプレイヤーの上を通り過ぎる事で擦り付けることが出来ますが、この貧乏神の存在と擦り付けがプレイヤーに対して非常にいい損として機能し、面白さのスパイスとして機能しています。

 ただし、逆にこの貧乏神により発生する損を受け入れられない人間にはややつらい存在でもあり、人を選ぶ要因ともなっています。
リスクとリターン
 桜井政博氏曰く、ゲーム性とはリスクとリターンとの事です。桃鉄の場合、まずはルートが自由な双六という点が挙げられると思います。

ルートが自由な双六のリスクとリターン
リスク
 1位を取れなくなるかもしれない
 一番遠いと貧乏神がつくかもしれない
リターン
 マイナスの駅を回避しやすくなる
 カードなどを入手しやすくなる
 物件などを購入しやすくなる

 特に物件の購入は安定した収入の要として重要ですし、カードはリスク回避のためにも重要です。

 しかし、リターンの方が多すぎる傾向があるのも事実だと思います。なのでゲームチェンジャーとして貧乏神の存在が挙げられます。

 あまりに遠いと貧乏神がつく訳ですが、貧乏神のやる行動は基本的にはまっすぐ行かずに迂回して手に入れるリターンの強制破棄です。つまり、ゴールを目指そうとさせる、双六に戻そうとする効果をもつルールでもある訳です。

 ただ、これは桜井さんも言っているのですが、あまりにこのリスクが大きいとユーザー離れを招いてしまう事になります。事実、自分は貧乏神がきつくて桃鉄はあまり好きなゲームではないです。リスクの調整が合わないユーザーは離れてしまいます。もっともこれはターゲット層の問題でもあるので、単に自分が貧乏神がキツイユーザー層だっただけだと思います。仕組みとしては非常に効果的な仕組みだと思います。
人間が知覚出来る個数には限界があります。

 例えば、言葉は同時に一つしか認識できません。ラジオをきちんと聞きながら小説を書き下ろしたり、発言をしながら相手の話に耳を傾けたり、文章を読みながら人の話を聞くことは出来ません。

 それと同じように、同時に認識が出来るものはだいたい3が限度で、意識して4つ目を認識する事がやっとできるように人間できています。5つ目以降は非常に認識が困難となります。

 頭の中で思い描いてもらいたいのですが、3x3の9マスはぱっと思い浮かぶでしょうが、4x4の16マスは思い浮かんでも3x4までで1行か1列がどちらかが消えてしまうはずです。5x5の25マスは非常に困難を極めます。だから、1ダース12個という中途半端な数字が残ったのも物を箱に入れる際に3x4だと数えやすく並べやすいからです。

 13が不吉な数字とされるのも13以降は認識しづらいという体の仕組みを、宗教的な物に乗せたものです。見落とすものが増えると、それは混乱の元となります。

 一時的に表示される素材など、リソースの種類は無制限に合って構いません。もちろん、それぞれ使う所がきちんと存在している事が条件ですが、種類を増やす事そのものは問題はありません。しかし、常時表示されるものや素材として要求されるものなど、認識が必要な物に関してはあまり沢山のリストが存在すると、それだけでやる気をなくしてしまいます。

 実例として、DMMのアダルトゲームに3Dグラフィックを利用したゲームで、1年持たなかったロイドマスターというゲームがあります。まぁゲーム性もイマイチだったのですが、素材の数が12種類ありまして。これを常に表示していたのがプレイヤーの混乱を招きサービスの寿命を縮めたのだろうと思っています。もちろん、それ以外にも縮める要素は有ったとは思います。

 何かミッションを受ける度にこの資源を消費するのですが、回復方法が不明瞭である事から何回このミッションが出来るのかがプレイヤーには上手く伝わりませんでした。もっと資源量を調節して、いっそのこと資源をロイドの作成だけにしていれば12種類でも問題は無かったように思います。そうすれば、画面もシンプルにできたはずです。

 人間は、選択肢がある事で実は不幸になります。2つあるだけで、片方を選ぶと、もう片方を選んでいれば、という気持ちが生まれます。だから2つでさえ迷います。何かを沢山用意する時は、プレイヤーに悩んでもらいたい場合、検討してもらいたい場合にのみ使ったほうがいいでしょう。

 確認させたいときは4つまで。それ以上の物を使わせたい場合は4区切りで段階を用意しましょう。できればその段階も3段までが望ましく、よほど特殊な理由が無い限りは2段までが無難です。3段以上は心のハードルが乗算で増えていくだけでなく、4段目以降は覚えきれない可能性が高くなってきます。

 この体の仕組みを逆に利用して、あえて4段以上の要素を作るのも良いとは思います。ただし、なるべく長編でだけ使ったほうがいいとは思います。

 世の中に3部作が多いのも人間がそうできているからで、そういう物だと覚えてしまいましょう。常に表示される確認用のステータスは4つまで、です。
  
プロフィール
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色々ありすぎでどれを名乗ろうか
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性別:
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自己紹介:
素材屋GY.Materialsを運営。
TRPGや同人ゲームなどを制作。イベントプロデュース等。
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