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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

カテゴリー「仮説」の記事一覧
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今かから書く内容は一種オカルトに近いものです。これも何ら科学的分析がなされたものではないですし、学者からの論文などが有るわけでもありません。ただ、状況証拠を集めて、ただただそういう物であると分析した結果です。

 よって、以下の内容はそういう考えもある、程度に読んでください。

人間の認識は3から4の間にある

 これは以前から提唱しているのですが、人間の認識は無意識では3、意識してやっと4が把握できるのではないかと考えています。4つを同時に意識し続けるのは難しく、4つ目を意識させると、それまであったものの3つからどれかが抜け落ちる。……と思います。

 裏付けの学説が有る訳ではないのですが、これらの証拠らしきものは世界中の神話や生き残った経済活動、定説、定番などからかき集めてくることが出来ます。このエントリーはそういった証拠「らしきもの」をかき集めたものですね。

実験
 まずは体験してもらった方が良いと思います。

 10000000

 ぱっとみて、これを数えらましたか?

 次はどうでしょう?

 100,00000

 相変わらず読みにくいと思います。

 それではこちらではどうでしょう?

 10,000,000

 少し数字に慣れている人であればこれはすぐ読めたかも知れません。

 これならどうでしょう?

 1000,0000

 そう、1000万です。日本人であれば4桁の区切りが言語の区切りと一致しているので読みやすいと思います。

 つまり、1000万と読む為に10000000と言う数字の並びでは読みにくいので、カンマという区切りを入れ認識しやすくしています。ところがこの区切りには3桁ごとの区切りか、4桁ごとの区切りしかありません。要するに、人類史において5桁ごとの区切りで数字を数える文明は、一つも存在していないのです。

 同じようにこういった区切りも思いつきます

 10,00,00,00

 今は知っているから1000万だと答えられると思いますが、知らなかった場合、1000万と答えられるでしょうか? あまり細かい区切りも実はよろしくないのです。

 と言う訳で100000000を区切るにあたっては、2桁毎も実はよくありません。これも人類史上、2桁毎で区切る文明と言う物が一切存在していない所から不便ゆえに定着しなかったことが伺えます。100000000と言う数字を区切るには、3桁ごとに区切ってミリオンを付けるか、1000万と呼ぶか、この二通りしかありません。2千年という年月を費やし今やAIの完成に近づいた人類が、100000000と言う数字を区切る方法を2つしか編み出していないのです。これはとても興味深い事実では無いでしょうか。

 3から4の間に認識の壁が有るとしたのはこれがとっかかりの一つです。同様に、7と8の間にも大きな壁が有ります。気づいた人はほとんどいないと思うが、ちょっと前の文章で「100000000と言う数字を区切るには」と書きましたが、この数値は1臆です。数えてみれば解ると思いますが、ゼロが8つあります。これが1000から10000の変化であればすぐに気が付いたはずですし、いちいち読み返して0の数を数えたりもしなかったはずです。ところがゼロが7から8に変わった瞬間は認識できず、1000万だと言う思い込みで1000万と読んでしまった人が多いと思います。八百万や八雲など、8が日本で沢山を意味する所以はここにあります。

 そして、言われたから気が付いた人も居ると思うのですが、一億になっているのはその段落全てであったりもします。人間の認知の壁を知れば、こういったやり方で「慣れ」や「ごまかし」を作ることが出来ます。応用すればゲーム内のスパイスのようなものをより意図的に盛り込みやすくなるのではないかと思います。

「3」:人間が無意識に認識できる物

――キャラクターの数が3の倍数を超えるごとに、書き分けは難しくなっていきます。
鑑裕之著 美少女ゲームシナリオバイブル第三講より


言葉、単語
 言葉から探してみても、3つにまとめられたものは数多くあります。

過去・現在・未来
昨日・今日・明日
明日・明後日・明々後日
年上・同い年・年下
大・中・小
弱・中・強
青・黄・赤
序・破・急

 特に、信号機の3色は、人の命を預かるものが3つにまとまっているのは興味深いと思います。韓国に4色信号機が有りますが、四つ目の色とされるのは矢印であり、「4色」は便宜上の表記です。実質、使われている色は3色しかありません。

 キャラの書き分けなども3の倍数を超えるごとに難易度が上がると鏡先生が言っているのも、恐らくこういった人間が持てる認識の壁のような物からくるものではないかと思います。

三人寄らば文殊の知恵
三羽ガラス
三度目の正直
仏の顔も三度まで
二度あることは三度ある
御三家

 ことわざや表現などにも3は好まれます。

順位付け
 殆どのレースで表彰台に昇れるのは3位までで、4位以下が台に上る事は稀です。

神話等
 宗教においても3を一塊としてとらえるものは少なくありません。

三位一体(キリスト教)
三神一体(ヒンドゥー教)
三相女神(各宗教)

 特に三相女神については、かなりの神話にてそういう区分を見ることが出来ます。それ以外にも、天国、地獄、地上(現世)といった具合に3つに分ける宗教も数多くあります。

 不動明王のように、中央に本尊、左右に眷属といった描き方、彫り方、置き方をする神話の創造物もかなりの点数が見られます。

 神道でも最も有名な兄弟は、アマテラス、スサノオ、ツクヨミの3兄弟ですね。


数字の区切り
 先述の通りだが、数字の区切りにも3か4でまとまっているものは沢山あります。

1,000
1,0000

 桁の区切りはもちろん

I,II,III,IV,V,VI....

 ローマ数字の区切りは3から4に行く際にIIIIではなくIVです。4つめの「I」を嫌っています。



 他にも例えばトランプですが、トランプの10で5x2になるものは見たことが有りません。有るのかもしれないのですが一般的には4+2+4です。7から8に行く際も、4x2にせず、3+2+3と4を避けています。

 バビロニア数学でも同様に、9は3x3の塊で、30から40に上がる際には、横に4つ並べず、それまでとは全く異なる配置に記述します。

 恐らくなのですが、数を数え始めた頃は他にも記述が色々と試されたのだろうと思います。ただ、その中で扱いやすい便利な物が生き残り、不便なものが淘汰され、5は徹底的に避けられ、4は極力避けるといった結果が記録として残ったのだろうと思われます。

映画など
 三部作で作られるものは非常に多いのに対して、4部作はなかなか見かけません。

「4」:生活に密着するもの


 意識してようやっと認識できるものが4つ目になりますが、生活するうえで、4は欠かせない数字でも有ります。また、3に比べてキリが良いこともあり、計ったり、考えたりするようなものには好んで用いられます。

言葉
 日本語に限って言うと4文字熟語が非常に多く、それ以外にも4つにまとめられたグループは生活に密着した物が散見されます。

東西南北
前後左右
老若男女
士農工商
起承転結
.......等々。

 身分や方角、序列など社会的な表現などに多く用いられます。たいていの場合、相反する2つの要素を2つまとめたもので、3でまとめるよりも4でまとめた方が理解しやすいものが4文字にまとめられます。

音楽
 3/4や4/4など、楽曲の基本となる分母は4である場合が殆どです。たとえ変拍子であっても7/4等になり、それ以外の表記は滅多に見られません。6/8の場合がありますが、これも演奏時のニュアンスの問題で、数字としては単純に3/4の倍です。

 曲の構成も多くの曲の歌詞は3ブロックに分けられる。Aメロ、Bメロ、サビ。あったとしてCメロ。もしくは大サビ。3か4の間に収まるケースが多く見られます。

数字の区切り
 特に人間が入力する類の物は、4桁や3桁で区切りが入ります。

電話番号
郵便番号
クレジットカードの番号

 パソコンなどに入力させるようになると、この区切りは無くなっていく傾向が強くなります。バーコードなどは良い例ですね。

「7」:記憶の認知の限界、もしくは区切り

 西洋では最も力のある数字とされる7は、3+4です。つまり無意識で判断できるものと意識的に判断できる物が組み合わさったもので、意識的な記憶の限界を表しています。これ以上は記録をとったり数を数えたりと、記録的な資料が必要となってきます。

 何も考えずに同じ作業を繰り返し行うと、7回目を超える辺りでめんどくささを覚えるようになります。しかし、これは3つか4つを過ぎるとあと少しだと感じるようになります。丁度、一週間で水曜日を過ぎると今週はあともう少しだと思うのと同じような感覚です。

 この山を越えるのが好ましいらしく、人間は何かをまとめる際に7つにまとめたがる傾向が有ります。この傾向が7をラッキーセブンと呼ぶ要因となったのではないかと勝手に思っています。7でまとめられるものは極めて人工的な分類で、人の力、人の英知を示す数字でもあります。

 ゲームデザイン、特にキャラクターに関わる物を用意する際には、7を目安に作成するとモチベーションが保ちやすくなるはずです。言い換えるなら、7は作業する本人のための数字と言えます。そういった観点で以下の物をみると、確かに人為的なまとめという片鱗が見えてくると思います。

七不思議
虹(七色)
一週間(七日)

 7と言う数字を活用するには、例えばプレイヤーに作業感のある内容をやらせる際に、7回で終わるように調整してやればモチベーションを保つことが出来るかもしれません。

「8」:神聖な物、特に日本では多数を意味する数字

 8は4の倍数であるが、4x2と考えるよりも4+4と考えた方がUIなどでも都合がよくなります。7+1もよろしくありません。4+4が基本です。

 あらかじめある4つに違う4を加えると考えた方がいいでしょう。

 例えば、あるアイテムを作る際に、前提として必要になるものも作らなければならない、となった際、許される個数は4つまでという事です。これも2段階までですね。

 Aを作るのに「いろはに」の4つが必要で、「いろはに」を作るのにそれぞれに異なるアイテムが4つ必要、であればモチベーションはまだ保てます。しかし、これにさらに一段階増えると途端に複雑に感じてしまう。8を超えるからです。

 これに対して同じものを二回作るのは大して苦痛ではありません。よって、4x2ではなく、4+4と考えた方がしっくりきます。

 日本では8を沢山ととらえる風習が有り、8から始まる言葉が多くあります。

八百万
八百屋
八雲
八咫鏡
八重桜
八岐大蛇
八重垣
八面六臂
八部衆
八束剣
八幡


 特に古い言葉が起源となる単語に関しては、8を物理的な数ととらえるのは過ちです。
八束剣は握り拳8つ分の束を持つとするよりも長巻等に近いものと考えた方が良いし、八岐大蛇についても8つの頭をもった蛇ではなく、それ以上の数があるものとしても間違いではありません。そもそも蛇は川の表現で、良く反乱する周辺の川を、八重垣による堤防、土木工事によって水害を防いだと言う話をたとえ話にしたものが八岐大蛇伝説なので、物理的に8つの頭が有ったとこだわるのは、恐らく大きな間違いだと思います。

「12」:世界で神聖とされる数字

 奇妙な事に12はこの世界ではどこでも神聖なものとして扱われます。

黄道十二宮
干支
十二使徒
一年
ダース

 大元は太陰暦で、月の満ち欠けが12回で季節が一周すると言う自然現象に起因します。本来月の満ち欠けの周期は29.5日と12とは無関係です。12に区切ったのはこれもやはり人間の認知の問題です。

 占いのコーナーなどを見るとだいたい4x3の並びになっています。ビールのダースケースも同様に4x3で、3x4の縦長になる事は殆どありません。同じ12であっても、3行であればストレスなく読めますが、4行だとストレスを感じるからです。縦長よりも横長の方が運びやすいという体感的な物も手伝っているでしょう。これも3と4の間にある人間の認識の壁のような物から自然とそのような形式を取るようになったと考えられます。

 12は宗教の基本となる数字らしく、12の倍数は度々特殊な数字として登場します。72や108はその代表例でしょう。逆に言うと、オリジナルの世界で神聖な数字を設定する際、その世界の住人が一年をどのようにカウントするかを決めておけば、リアリティのある数字が作れるのではないかとも思います。

まとめ

 7から先は比較的人為的な括りになっているのがお分かりいただけたでしょうか? 一旦神聖な物と認識されたものは、それにゲンを担ぐのか、そこにそろえようとする傾向が強くあります。

 実際の所、冒頭の数字の例で解る通り、3と4の間が人間の認識の壁で、その他のものはその組み合わせに過ぎません。この認識の壁は、特にUIをデザインする際に大いに役立つと思いますし、ゲームバランスを取る際の目安、また、意図的に迷わせたいときと迷わせたくない物を上手く配置する際にも手助けになると思います。

 何かしらの参考になれば幸いです。
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自分はお笑いの芸人ではありませんし別に笑いを目指してはいません。が、ゲームを作るにあたってはそのどこかに笑ってしまう要素、特にシナリオを作る面ではある程度は必要になるし、結局のところゲームの面白いとお笑いの面白いはその度合いの強さの違いでしかないのではないかなと、そのように考えています。

 もちろん、なんら実験データを持たない物ですし実践の成果もなく、試験もしていません。なので、ある程度の確信はあるものの、これを信じて犠牲になるのは自分だけで良いと思う。よって、仮説というカテゴリに放り込むことにしました。話半分程度に思って下さい。

緊張と緩和か緊張の緩和か


 よく「笑いの基本」は「緊張と緩和」と言われます。松本人志を筆頭とするお笑い芸人の間では浸透しているものですが、これの元は二代目桂枝雀が提唱した「緊張の緩和」で、一文字違います。違う点は1文字ですが大きな違いが有ります。

「緊張と緩和」、でイメージするものは「緊張があってから緩和があり、緩和の時に笑いが起こる」という順序だったものになります。松っちゃん自身、「緊張が良い感じに来てるからここで緩和」と言った旨の発言を本音ではしご酒にて披露しています。

 対して「緊張の緩和」では「緊張した時に緩和するため笑いが起きる」という、反射的、生理的な人の作用をイメージします。一文字違いではあるが両者が示唆する内容は全く異なります。

 言い換えるなら「緊張と緩和」は「順序」。「緊張の緩和」は「事故」で全く別の物を意味しています。どちらが正しいかは実際に笑いが起こっている所を分析すれば見えて来るかと思います。

笑いが起きる瞬間


 自分が一番笑ったシーンと言うと、かつてリンカーンで放送された「帰れま10」で、松っちゃんが嫌いな罰ゲーム第一位をパネルから選ぶと言う企画でした。ここで、天野君が「人間ふりこ一斗缶撃破」を選びます。

 10mの高さに釣り上げられ、そこから一斗缶の壁に向かって頭から突っ込むのですが、これで爆笑する瞬間は、一斗缶の壁と天野が激突した瞬間です。天野君が無事生還した瞬間ではありませんでした。

 緊張と緩和のイメージによる手順で行くならば、一番笑う瞬間は天野が生還したところになるはずですが、実際には一番緊張が走った衝突の瞬間です。

 そして、当の本人はこの罰ゲームの間一切笑っていません。緊張が一番緩和されたにもかかわらず、です。

緊張の緩和


 桂枝雀氏の提唱した「緊張の緩和」にはある前提条件が有ります。それは、客席と言う安全な場所にいる、という前提が必須だという事です。そして度が過ぎないと笑えないという事。

 実際、お笑い芸人らの芸をみて笑う瞬間、その当事者らは笑っているでしょうか? ザリガニに鼻を挟まれた出川さんは笑ってますか? もっと身近な話ではどうでしょう? 遊具で遊んでいる友達が自分で蹴ったボールにつまずいてこける、そんな瞬間、周りは笑うでしょうが本人は笑っているでしょうか?

 基本的には他人の不幸だから笑うのであって、それが自分の身にも降りかかるかもしれない、と感じたり、イメージできる延長線だと笑えないものになります。

 例として出されていたのは、金持ちで気取ってるオバハンがこけると笑ってしまうが、浮浪者で今にも倒れそうな人がこけると笑えないと言う話でした。倒れるのが予想できるからですね。

笑いとは現実に戻そうとする生理現象


 笑顔には健康にする作用が有りまして、特にストレスに対する耐性が非常に強くなるという医学データが有ります。口角を上げ、大きく口を開き目を細めた表情をは相手を威嚇するときの表情、今から噛みつくと言う表情だからと言われています。

 ペットを飼ったことが有る人なら解ると思いますが、ある程度大きな動物はじゃれる時に甘噛みをします。要するにこの甘噛みが進化の過程で定着したものが笑顔で、安全だよと自分自身に言い聞かせるために行われるものが笑いなんだそうです。

 ゆえに、人は極端な恐怖に接すると笑うし、その人の不幸に共感してしまうと笑えなくなります。が、完全な他人事として認識出来れば笑えます。

 なぜか。

 緊張を緩和するためです。

笑い話と不幸


 何か辛い出来事が有ったとします。数年減ると「今は笑い話なんだけど」と語ることができるようになり、実際に笑って話すのですが、笑い話になる前は悪口や愚痴として披露される事になります。

 話の内容は全く同じだし語り手も同じなのですが、笑える話になる場合と笑えない話になる場合があります。これも笑いが「緊張の緩和」であって、「緊張と緩和」ではない証左ではないかと思います。要するに、語り手に取ってもう安全だ、もう無関係だと言い切れる状況にあるから笑いに変えれますが、まだ当事者である、という自覚がどこかにあると笑い飛ばすことが出来ません。

 実はここに喜劇と悲劇のヒントが有るように思います。客席にとっても当事者として共感できるような内容であれば悲劇、客席にとって当事者ではないと認識できるようであれば喜劇になるのではないかと思うのです。

 この当事者と錯覚するかどうか、共感してしまうかどうかのヒントは2つの場所から引っ張ってくることが出来ます。一つは論の提唱者、桂枝雀。もう一人は努力の人、島田紳助。

ホンマ領域

 桂枝雀は笑いが起こる仕組みを分析して、落語にはこういうオチのパターンがある、と4つに分類したものを提唱しました。それぞれがどういうパターンかは各自調べてもらうとして、ここでは彼の説に重要な役割となっている「ホンマ領域」について書きたいと思います。

 ホンマ領域と言うのは言い換えるなら「予想」や「期待」です。今話している内容がどんな方向に進むのかなと言う予想、この領域から逸脱した瞬間に笑いが起こる、と言う物です。

 逸脱の形式がどのような物に分類されるか、で4種類に分類されてしましたが、いずれの場合も、「このお話はこうなるだろうな」と予想していたら思いもよらないおかしな事が起り、それが可笑しさを産むというのが基本的な理屈です。

 上岡龍太郎との対談では子供をあやす時の話が例として挙げられていました。この時、「ぷるるるる……ばぁ」としたとき、「ぷるるる……」が緩和した状態で「ばぁ」が緊張した状態と桂枝雀は解説しました。これに対し、上岡龍太郎は「ぷるるる……」が緊張で、「ばぁ」が緩和かと思ったと聞き、桂枝雀は「そうとも言います」と答えましたが、これは相手を立てただけの話です。

 ホンマ領域で考えると、「ぷるるる……」はこの先どうなるかは良くわからない。ただ、このまま小さくなっていくか、「ぷるるる……」が続くかと言った所が予想、期待の範囲です。そこへ突然「ばぁ」が来るのでホンマ領域を逸脱し笑いが起こります。

 ホンマ領域とその逸脱は、別な言葉で言い換えると「慣れと異物」などになるかと思います。慣れさせたところや、こういったものだと慣れている物に対して突然違う物を用意します。そうする事でインパクトを産み、そのインパクトの度合が笑ったり、ホンマ領域で収まるようであれば緊張に変わったりするのでしょう。

 ゲームで言うと超兄貴はこのメカニズムがふんだんに盛り込まれています。例えば、オプション。R-TYPEでは弾を打ち消すだけでなく攻撃にも使える頼れるフォース、グラディウスでは追尾してきて同じ攻撃をする頼もしいオプション、そして超兄貴では横に侍り攻撃をしてくれるのですがダメージを受けると離脱します。

 それまでのオプションは一切離脱していないので、ホンマ領域ではオプションはある意味無敵です。それが自機よりも先に死ぬという逸脱。初見ではインパクトの強さゆえに驚きと笑いが起こりますが、それが理解できると今度はホンマ領域内に収まるため緊張へと変わります。

 他にもラスボスの変身前がやたらと小さかったり、撃破後の変身直前、小さい光をふらふらと画面中央に飛ばせてからの両サイドからの挟み込みなど、元々の概念として「ボスは大きい物」という思い込みと、それまでのステージでの植えつけを裏切り、さらに視線と注意の誘導をしておいて突然の攻撃に対応できなくするなど、初見殺しによる笑いを上手く作り上げている名作です。

 ホンマ領域とその逸脱は、さらに別な言葉に言い換えると「初見殺し」とも言えます。

納得したストーリーはおもんない


 島田紳助がNSCで講演した際、ネタの作り方について以下のように発言しています。

「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもろ無いねん。」

 上記は短い漫才のネタの作り方について語られたものですが、これもホンマ領域と照らし合わせて考えてみると良く解ります。ストーリーにすると先が見える。先が見えるとこうなるだろうなと言う期待がそちらに向けられるため、その期待の通り進んでしまう。期待通りに進んでしまうと笑いは生まれません。

 日本語の面白いには2つの意味が有ます。一つは興味深い、もう一つは可笑しいです。このうち、可笑しいはホンマ領域を飛び越える突然の出来事が必要です。逆に興味深い、は良く出来たストーリーによって生み出されます。



 よくネタバレは面白くなくなると言うが、ストーリーがしっかりしている物に関してはネタバレをしても面白さは損なわれる事はありません。例えばガンダムの一年戦争は、何度もゲームでリメイクされているが、そこにネタバレしてるから面白くないと言う人は居ません。

 逆に、可笑しいに関してはネタバレをすると面白さを損なってしまうことが有ります。ホンマ領域を外れる出来事を知らないから笑えるのであって、知ってしまうと笑いにくくなります。4回、5回と同じ動画を見るとそれに慣れて来ます。ここで何かが起きるぞ、と知っているとあまり笑えません。もう一度見たい笑いのシーンも、一回目に比べると、覚えているうちは笑い方が大人しくなるはずです。

 よって、喜劇を作るか、悲劇を作るかでストーリーを重視するかどうか、どの程度重視したものにするかは決まってきます。感動して泣くもの、悲しくて泣くもの、あるいはホラーなど恐怖を与えるものは、綺麗な流れになればなるほど面白さが増します。逆に笑わせようとするならば、今までの話の流れとは関係ない突然の出来事を用意すると良いかもしれません。めいびー。

注意事項


 と、ここまで書きましたが、しっかりとした検証が行われている訳ではないので鵜呑みにするのは危ないとは思います。だが、「緊張と緩和」についても言葉だけが先行していて、実際にそういう検証がされているかどうかは怪しいと感じています。

 松本人志自身、「緊張と緩和」と言う理屈には囚われていますが、彼のボケのタイミングはその理論へのこだわりは見られません。もしかすると、「緊張と緩和」には別の取り方があって、それを実践しているだけかもしれません。

 ただ、このエントリーで一つの物差しのような物は用意できたのではないかと思います。あとは各自でこの物差しを使いながら色々と分析をしてみてもらえれば有難いです。

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「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもん無いねん。」
  
プロフィール
HN:
色々ありすぎでどれを名乗ろうか
Webサイト:
性別:
男性
自己紹介:
素材屋GY.Materialsを運営。
TRPGや同人ゲームなどを制作。イベントプロデュース等。
P R
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