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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

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2016/07/01 (Fri)
笑いは「緊張と緩和」ではなく、「緊張の緩和」
筆者はお笑いの芸人ではないし、別に笑いを目指してはいない。が、ゲームを作るにあたってはそのどこかに笑ってしまう要素、特にシナリオを作る面ではある程度は必要になるし、結局のところゲームの面白いとお笑いの面白いはその度合いの強さの違いでしかないのではないかと、そのように考えている。

 もちろん、なんら実験データを持たない物だし実践の成果もなく、試験もしていない。ゆえにある程度の確信はあるものの、これを信じて死ぬのは筆者だけで良いと思う。よって、仮説というカテゴリに放り込むことにした。読まれる方は話半分程度に思ってもらいたい。

緊張と緩和か緊張の緩和か
 よく「笑いの基本」と呼ばれるものに「緊張と緩和」と言う物が有る。松本人志を筆頭とするお笑い芸人の間では浸透しているものであるが、これの元は二代目桂枝雀が提唱した「緊張の緩和」で、一文字違いだが大きな違いが有る。

「緊張と緩和」、でイメージするものは、「緊張があってから緩和があり、緩和の時に笑いが起こる」という順序だったものになる。松本人志自身、「緊張が良い感じに来てるからここで緩和」と言った旨の発言を、本音ではしご酒にて披露している。

 対して「緊張の緩和」では「緊張した時に緩和するため笑いが起きる」という、反射的、生理的な人の作用をイメージする。一文字違いではあるが、日本語が示唆する内容は全く異なる。

 言い換えるなら「緊張と緩和」は「順序」。「緊張の緩和」は「事故」で全く別の物を意味している。どちらが正しいかは実際に笑いが起こっている所を分析すれば見えて来るかと思う。

笑いが起きる瞬間
 自分が一番笑ったシーンと言うと、かつてリンカーンで放送された「帰れま1」で、松本が嫌いな罰ゲーム第一位をパネルから選ぶと言う企画。ここで、天野が「人間ふりこ一斗缶撃破」を選ぶ。

 10mの高さに釣り上げられ、そこから一斗缶の壁に向かって頭から突っ込むのだが、これで爆笑する瞬間は、一斗缶の壁と天野が激突した瞬間である。天野が無事生還した瞬間ではない。

 緊張と緩和のイメージによる手順で行くならば、一番笑う瞬間は天野が生還したところになるはずだが、実際には一番緊張が走った衝突の瞬間である。

 そして、当の本人はこの罰ゲームの間一切笑っていない。緊張が一番緩和されたにもかかわらず、だ。

緊張の緩和
 桂枝雀の提唱した「緊張の緩和」にはある前提条件が有る。それは、客席と言う安全な場所にいる、という前提が必須だという事。そして、度が過ぎないと笑えない、という事。

 実際、お笑い芸人らの芸をみて笑う瞬間、その当事者らは笑っているだろうか? ザリガニに鼻を挟まれた出川は笑ってるだろうか? もっと身近な話でもいい。遊具で遊んでいる友達が自分で蹴ったボールにつまずいてこける、そんな瞬間、周りは笑うだろうが本人は笑っているだろうか?

 基本的には他人の不幸だから笑うのであって、それが自分の身にも降りかかるかもしれない、と感じたり、イメージする延長線だと笑えないものになる。

 例として出されていたのは、金持ちで気取ってるオバハンがこけると笑ってしまうが、浮浪者で今にも倒れそうな人がこけると笑えない。倒れるのが予想できるからだ。
笑いとは現実に戻そうとする生理現象
 笑顔には健康にする作用が有り、特にストレスに対する耐性が非常に強くなる、という医学データが有る。なぜそういう作用があるのかを探るには、他の動物を見ると良い。口角を上げ、大きく口を開き目を細めた表情をどんな時にするか。

 笑顔と言うのは相手を威嚇するときの表情、今から噛みつくと言う表情なのだ。

 ペットを飼ったことが有る人なら解ると思うが、ある程度大きな動物はじゃれる時に甘噛みをする。要するにこの甘噛みが進化の過程で定着したものが笑顔で、安全だよと自分自身に言い聞かせるために行われるものが笑いとなる。

 ゆえに、人は極端な恐怖に接すると笑うし、その人の不幸に共感してしまうと笑えない。が、完全な他人事として認識出来れば笑う。

 なぜか。

 緊張を緩和するためだ。

笑い話と不幸
 何か辛い出来事が有ったとしよう。数年減ると「今は笑い話なんだけど」と語ることができるようになり、実際に笑って話すのだが、笑い話になる前は、悪口や愚痴として披露される事になる、そんな経験は誰しもあると思う。

 話の内容は全く同じだし、語り手も同じだが、笑える話になる場合と笑えない話になる場合がある。これも笑いが「緊張の緩和」であって、「緊張と緩和」ではない証左ではないかと思う。要するに、語り手に取ってもう安全だ、もう無関係だと言い切れる状況にあるから笑えるが、まだ当事者である、という自覚がどこかにあると笑い飛ばすことは出来ない。

 実はここに喜劇と悲劇のヒントが有るように思う。客席にとっても当事者として共感できるような内容であれば悲劇、客席にとって当事者ではないと認識できるようであれば喜劇になるのではないかと思う。

 この当事者と錯覚するかどうか、共感してしまうかどうかのヒントは2つの場所から引っ張ってくることが出来る。一つは論の提唱者、桂枝雀。もう一人は努力の人、島田紳助。

ホンマ領域
 桂枝雀は笑いが起こる仕組みを分析して、落語にはこういうオチのパターンがある、と4つに分類したものを提唱した。それぞれがどういうパターンかは各自調べてもらうとして、ここでは彼の説に重要な役割となっている「ホンマ領域」について書きたいと思う。

 ホンマ領域と言うのは言い換えるなら「予想」や「期待」だ。今話している内容がどんな方向に進むのかなと言う予想、この領域から逸脱した瞬間に笑いが起こる、と言う物。

 逸脱の形式がどのような物に分類されるか、で4種類に分類されたのだが、いずれの場合も、「このお話はこうなるだろうな」と考えていたところにおかしな事が起り、それが可笑しさを産むというのが基本的な理屈だ。

 上岡龍太郎との対談では子供をあやす時の話が例として挙げられていたが、この時、「ぷるるるる……ばぁ」としたとき、「ぷるるる……」が緩和した状態で「ばぁ」が緊張した状態と桂枝雀は解説した。これに対し、上岡龍太郎は「ぷるるる……」が緊張で、「ばぁ」が緩和かと思ったと答え、桂枝雀は「そうとも言います」と答えたが、これは相手を立てただけの話でしかない。

 ホンマ領域で考えると、「ぷるるる……」はこの先どうなるかは良くわからない。ただ、このまま小さくなっていくか、「ぷるるる……」が続くかと言った所が予想、期待の範囲だろう。そこへ突然「ばぁ」が来るのでホンマ領域を逸脱し笑いが起こる。

 ホンマ領域とその逸脱は、別な言葉で言い換えると、「慣れと異物」などになるかと思う。慣れさせたところや、こういったものだと慣れている物に対して突然違う物を用意する。そうする事でインパクトを産み、そのインパクトの度合が笑ったり、ホンマ領域で収まるようであれば緊張に変わったりするのだろう。

 ゲームで言うと超兄貴はこのメカニズムがふんだんに盛り込まれている。例えば、オプション。R-TYPEでは弾を打ち消すだけでなく攻撃にも使える頼れるフォース、グラディウスでは追尾してきて同じ攻撃をする頼もしいオプション、そして超兄貴では横に侍り攻撃をしてくれるがダメージを受けると離脱する。

 それまでのオプションは一切離脱していないので、ホンマ領域ではオプションはある意味無敵である。それが自機よりも先に死ぬという逸脱。初見ではインパクトの強さゆえに驚きと笑いが起こるが、それが理解できると今度はホンマ領域内に収まるため緊張へと変わる。

 他にもラスボスの変身前がやたらと小さかったり、撃破後の変身直前、小さい光をふらふらと画面中央に飛ばせてからの両サイドからの挟み込みなど、元々の概念として「ボスは大きい物」という思い込みと、それまでのステージでの植えつけを裏切り、さらに視線と注意の誘導をしておいて突然の攻撃に対応できなくするなど、初見殺しによる笑いを上手く作り上げている。

 そう、ホンマ領域とその逸脱は、さらに別な言葉に言い換えると、「初見殺し」になるのだ。

納得したストーリーはおもんない
 島田紳助がNSCで講演した際、ネタの作り方について以下のように発言している。

「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもん無いねん。」

 上記は短い漫才のネタの作り方について語られたものだが、これもホンマ領域と照らし合わせて考えてみると良く解る。ストーリーにすると先が見える。先が見えるとこうなるだろうなと言う期待がそちらに向けられるため、その期待の通り進んでしまうと笑いは生まれない。

 日本語の面白いには2つの意味が有り、一つは興味深い、もう一つは可笑しいである。このうち、可笑しいはホンマ領域を飛び越える突然の出来事が無くてはならない。逆に興味深い、は良く出来たストーリーによって生み出される。



 よくネタバレは面白くなくなると言うが、ストーリーがしっかりしている物に関してはネタバレをしても面白さは損なわれる事は無い。例えばガンダムの一年戦争は、何度もゲームでリメイクされているが、そこにネタバレしてるから面白くないと言う人は居ない。

 逆に、可笑しいに関してはネタバレをすると面白さを損なってしまうことが有る。ホンマ領域を外れる出来事を知らないから笑えるのであって、知ってしまうと笑えないのと同じで、4回、5回と同じ動画を見るとそれに慣れて来る。ここで何かが起きるぞ、と知っているとあまり笑えない。もう一度見たい笑いのシーンも、一回目に比べると、覚えているうちは笑い方が大人しくなるはずだ。

 よって、喜劇を作るか、悲劇を作るかでストーリーを重視するかどうか、どの程度重視したものにするかは決まってくる。感動して泣くもの、悲しくて泣くもの、あるいはホラーなど恐怖を与えるものは、綺麗な流れになればなるほど面白さが増す。逆に笑わせようとするならば、今までの話の流れとは関係ない突然の出来事を用意すると良い。めいびー。

注意事項
 当然、この話は実際どうなのかというと、しっかりとした検証が行われている訳ではないので鵜呑みにするのは危ないと思う。だが、「緊張と緩和」についても言葉だけが先行していて、実際にそういう検証がされているかどうかは怪しい。

 松本人志自身、「緊張と緩和」と言う理屈には囚われているが、彼のボケのタイミングはその理論へのこだわりは見られない。もしかすると、「緊張と緩和」には別の取り方があって、それを実践しているだけかもしれない。

 ただ、このエントリーを読む事で分析のための物差しは持てたのではないかと思う。あとは各自でこの物差しを使いながら色々と分析をしてみてもらえればと思う。

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「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもん無いねん。」


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