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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

カテゴリー「ゲーム制作に行き詰まった時」の記事一覧
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DLsiteやDMMで登録した際、一番左上に登録された他サークルの物をみて、いいなぁと思った事が多分あるのではないかと思う。良い作品を作ったらあのポールポジションを取れるんじゃないだろうかとそんな風に思うかもしれない。

 一位を取ったとしても広告効果がそれほど大きいかと言うと、決してそういう事は無いかもしれない。しかし、下の方に埋もれるよりは圧倒的に人の目には付きやすい。他の利点としては、111さんなど同人ゲームの感想ブログを運営している人の目に止まりやすく、何かしらの反応を得ることができ、そこから広がる可能性に期待が持てる。よって、なるべく高い順位、スクロールなしでも表示される4位以内を取るに越したことはないと思う。

 実はあの掲載位置は作品の内容云々で決定されているものではなく、単純に登録された速さの順でしかない。では、いかに前日の午前0時ジャストに登録するか、というラットレースが行われているのかと言えばそう言う訳ではない。

 ポールポジションを取りたければ、単純に販売開始日を指定してやれば良い。

 DLsiteでは通信欄に、DMMでは指定用のカレンダーがあるのでそこで指定してやれば、特に問題が無い限りは適用してくれる。

 登録の傾向には以下のような物があると思う

  • 月曜日は基本的に一番少ない。
  • 日曜日が近づくにつれ登録数は増える。
  • 祝日はどの曜日でも多い
  • 祝日の前日も多い
  • 給料日である25日はどの曜日でも多い
  • 給料日の前日である24日も多い
  • 25日から月末までは基本的に増加傾向にある

 だが、当然他のサークルも同様に日付を指定してくる。特に土日などは一ヶ月前でもなかなか難しい。激戦区を避け、平日を狙うか、それともあえて激戦区に埋もれる覚悟で勝負するか各自の判断になるかと思う。上記の傾向は参考までに。

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おかしな意見に聞こえると思う。作成中のゲームなのだから勉強しても構わないだろう。なぜ学んではいけないんだ。もっともな意見だと思う。だが、学んではいけないのだ。

 あのゲームはどうやっているんだろうか? このゲームはどうやっているんだろうか? 他の人がこのジャンルの醍醐味って感じているものはなんだろう?

 調べれば調べるほど、知れば知るほど自分の今作っているゲームとのギャップが気になり、あれも入れよう、これも入れようとなってしまう。結果として完成が遠のく。一番大事なのは未完成の究極のゲームではない。完成した一本の駄作を積み重ねる事。失敗を経験とすること。これだけが、良ゲーを作る道なのだ。

 もちろん、ゲームジャンルの醍醐味と言う物は分析し、学び、自分なりの答えを持っておかなければならない。だから、勉強はしなければならないが、それは作成中にやる事ではない。何故なら、今作っているゲームの醍醐味を引き出すために、そのジャンルを選んだはずだからだ。ジャンルを決定してからそのジャンルの良さを探すのは順序が逆。コンセプトワークとしては手順が逆になる。だから学んではいけない。制作前に学び、制作中に学んだとしても次回作に生かすようしっかりと切り分けなければならない。

 よく格闘技の議論などで、どの流派が一番強いのか、どの武器が一番強いのかといった議論がなされることが有る。ボクシング最強説だったり、ムエタイ最強説だったり、空手最強説だったり。あるいは、トンファー最強説や、マグナム最強説などなど……こういう話はどの流派、どの武器が一番強いかではなく、「誰」が一番強いかでしかない。強い武器というのは、その人にあった武器で、身長や体力、状況に合わせて選ぶもので、ゲームジャンルにしても同じこと。人がコンセプトで、ジャンルは流派や武器に過ぎない。自分に合わない醍醐味を引っ張り出しても扱えるものではないのだ。

 今作っているゲームの醍醐味を引き出すために、そのジャンルを選んだのだから、下手に学ぶよりもまずはテストプレイ。自身が出したかった醍醐味が出ているかどうか。チェックするポイントはそこだけでいい。他の作品を気にするのは、次の作品を作る時に。

ゲームを完成させた。だがどうにも入り口がよろしくない。つまり、例えばツクールであれば、ゲームのタイトルを表示させた状態だ。もっとカッコよくできないだろうか? 最初の画面で一定以上のインパクトを産めれば、ゲームにもとっつきやすくなるはずだ。となると、必要な物はゲームロゴの制作となる。これが結構悩ましい。

 ロゴがどういう物かというと、基本的にはそのゲームの世界観を表すようなものであるのが望ましい。どういった加工をするかはどれだけ凝るかの話なので、ここは本人の気のすむまでとしか言いようがない。しかし、加工を施したところでインパクトの無いものは無いし、加工をしなくともインパクトの有るものは有る。この差はどこにあるのか。

 いくつかロゴを見比べてみた結果として、これは、と思った物と思わなかったものを自分なりに分析してみて少し見えてきたものがある。これはと思った物は以下の3つ。

メガテン
艦これ

ウィニングポスト

 この3つにはある共通点があり、これはと思わなかったロゴにはこの共通点が存在していなかった。よって、この共通点に当たる部分を機械的にやれるようになれば、ノウハウとして成立するのではないかと思う。

視線と印象との衝突

 一番解りやすいのは真・女神転生のロゴだ。


 イタリックで右に傾き、転だけが少し下に下がっている。特にこれと言った装飾もされていないにもかかわらず、なぜかインパクトが非常に強い。どういう事かというと、からくりを理解すればそれほど難しい事ではなかった。

 全体的にイタリックで右斜め上に意識が向けられるのに対して、目線の動きは「転」で一旦下がり、「生」で右上に上がる。

 この意識と視線のぶつかりがインパクトを産んでいる。艦これにも同様の事が言える。



 ロゴ全体は右上に上がってるのに対して「これ」は読む際に右下へと下がる。そして、地味に碇が右下に向いており色んな方向へと意識が分散されてしまう。碇に意識が向けられた場合は「艦」から「こ」に向かう際に視線と意識がぶつかるし、ロゴ全体、特に船に意識が向けられた場合は「これ」を読んだ際に視線と意識がぶつかる。

 ウィニングポストはもっと解りやすい。




 ここまで読んでもらった方ならすぐわかると思う。文字は左から右に読むのに対して、競走馬は左を向いている。視線の動きと意識が中央でぶつかる形だ。これによって、ぶつかる直前の「win」がより強調され、競馬、競走馬で勝つというゲーム内容そのものを非常によく表している。

 つまり、インパクトの有るロゴを作るためには、意識の向けられる方向と、視線の動きをどこかで逆にすれば良い、という事になる。

 ロゴの良し悪しでゲームの内容が変わるわけでも無いし、ロゴの良し悪しでゲームに対する評価が変わるわけでも無い。ただし、ロゴにある程度のインパクトがあると宣材としても使いやすいので、告知はやりやすくなる。

 意外にゲームを作った後でもこういったロゴの作り方には悩む事が多い。一定のルールのようなものを身に着けておけば、余計な悩みからは解放されるのではないかと思う。

ゲームを作るための勉強はなんですか、と言う質問は割と良く見かける。当然技術としてはプログラミングを学ばなければならないが、別にプログラミングを学ばなくともゲームは作れる。ツクールであれば、手間はかかるがスイッチの管理だけでも十分ゲームを作ることは出来るし、それこそブログで昔のゲームブック形式のゲームを作る事も出来る。

 で、だいたいこういう質問をする人はゲームを完成させられないし、そもそも手を付けない。どんなものを作るか、と言う具体的なイメージが一切なく、「ゲーム」という漠然とした憧れがあるだけだからだ。

 逆に、適当に気に入ったツールを手にして、そのツールで出来る事を探り、実験を繰り返す人は何かしらの完成までたどり着けることが多い。

 両者の違いは何かといえば、単純に手を付けているか否かでしかない。しかし、この差はとても大きい。手を付けなければわからないことは山のようにある。自分が今何を解っていて何を解っていないかは自分自身では意外と解らない。それを明確にするには、失敗なり成功なりを体験するしかない。

 失敗して初めて、今、何を学ぶべきかが見えて来る。そして、今、特に学ばなくてもいいものも明確になる。自分自身の向き不向きは自分にしか解らないが、それを知るためには経験が必要となる。

 車の免許を持っている人は解ると思うが、免許を取る前と取った後では助手席に乗った際に見る場所が異なるはずだ。取る前はただ景色を見、車を見たとしても漠然と見ていたと思うが、免許を取ると、目の前の車とその先、どんな風に動くかをある程度予想するようになるし、曲がる際、ドライバーと一緒に安全確認をしてしまうようになる。

 同じように、一冊の本を読んだ際、ゲームを一本作る前と作った後では書いている内容に差がでてくる。もちろん出版物なので書かれている内容そのものに変化はない。受け取る内容に、見落としや、こういう事を言っていたのかと言う再発見が必ずある。

 同じ事件を見て人によって受け取り方が違う。昨日の自分と今日の自分は別人と思っていい。ましてや一年後ともなれば他人も同然。その間にどんな経験をしたかで、同じものを見ても印象が変わるものなのだから、学ぶより先にまず経験を積む事。

 渾身の一作を発表したいのなら、渾身の一作が出来るまで完成させた作品をボツにすればいい。発表しなければ何の問題も無いのだ。そして、完成させなければボツも作れないし、ボツが無ければ自分の足りない部分も理解できない。

 悩む前に手を付けること。まずやること。

未完成に終わる原因の大半は、作業量が把握できなかったり、作業が進んでいなかったりするからで、この2点をなんとか出来れば完成にはぐっと近づくことが出来る。

 作業量の把握はリストアップをすれば、大体の全体図はおぼろげながら見えて来る。しかし、作業を進めるかどうかは習慣に依存する点が非常に大きいので、まずは手を付ける習慣をつけるしかない。

 自分自身の体感の話ではあるが、どうやら人間と言う生き物は思っているほど賢い生き物ではないらしい。例えば買い物に行った際、目的の物を購入して、帰ってくる。この時に何か忘れていて、家に帰ってから気が付く、という体験があると思う。なぜいくつか忘れるかと言うと、買い物をするときに、連想して思い出すのに失敗しているからで、段取りが上手くいくときは、この連想が上手くいっているだけでしかない。段取りや手順を作り、プログラム的に行動している訳ではない。

 その瞬間、その瞬間で、外部や身体からの刺激で、色々な連想をして、その時に一番強い欲求を実行し続けているだけで、やっぱり行動に関しては動物の域を出ない。

 人間が賢いのは、刺激を外に残すようにしたことで、メモを見ると残された刺激から全部を思い出すことが出来る。そして刺激を受けると欲求が芽生えて、それを実行しようとする。特に文章を作成している最中などは、刺激を外部を残して、同時に目から刺激を受けるので、相乗的な効果が生まれるようになる。

 作文の宿題などをやっていた時に、書き出すまでは面倒だけど、書き始めたらやたらとスムーズに進んだ経験があると思うが、これはそういう脳みそのメカニズムによるところで、結局はやる気という物も、上手く刺激から欲求が刺激されていない、というだけでしかない。

 だったら、やる気を出すために、外部にある刺激を見るなり何なりしてしまえばいい。

 少しでも手を付ける習慣が無い場合は、リストを見直すだけでもいい。リストを見るだけで刺激を受け、これをやっておこうかなとか、そんな気持ちになる。あるいは、やらなくちゃいけない仕事を仕切っている人の写真をパソコンの前に用意しておくと、その写真からの連想ゲームでやらなくちゃいけないと言う危機感が生まれて手を付けるようになる。

 今でもあると思うが、会社の朝礼の際、神棚に手を合わせる所は、意図はしていないと思うが、体感として、やる気を引き出すためのスイッチとして使っている。

 日をまたいだとしても、作業が少しでも前に進んでいれば、次を作りたいと言う欲求が内部から生まれて来る。一行でいいし、一文字でもいい。誤字の修正をやるだけでも構わない。とにかく習慣をつける事。そうすれば、無理に意識しなくとも完成へと近づけることが出来るはずだ。

  
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素材屋GYMを運営。
TRPGや同人ゲームなどを制作。
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