同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。
2019/12/11 (Wed)
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2016/02/08 (Mon)
決断が遅いと完成が遠のき、未完を作りやすい
ゲーム制作には時間がかかる。一週間でできるものもあるが、かなり限定されたものであったり、既存の素材の組み合わせが上手くいった場合などに限られた話でしかない。早くても1、2ヶ月。長ければ半年、一年、もしくは二年、三年……。
その間に技術はどんどん進歩し、新しいゲームが発売され、それに影響を受けてこんなものをやりたいと思ってしまう。新しい映画を見て、こんな話を取り入れたいと思ってしまう。新しい何か、と言う誘惑があまりにも多く、そして、影響を受けずとも誘惑の方に時間が割かれ、一日手を付けなかったことが重しとしてのしかかる。まるで夏休みの宿題のように。一日分の遅れを取り戻そうとして二日分、三日分、さぼればさぼるほど自分の作業のハードル、量を多くしていって、自分で心を折ってしまう。
経験、無いだろうか。
以前、妥協しないことは甘えだと書いた。これはその話とほぼ同じで、妥協と決断は同義だと思っても問題ない。
新しいゲームに影響を受けたとき、その新しい要素を、今作っているゲームには「取り入れない」決断をする。新しい映画に影響を受けたとき、その新しい要素を、今作っているシナリオには「取り入れない」決断をする。新しい何かの誘惑に乗っても、何分までと時間を決め、必ず一日、短くてもいいから何かしら手を付けると言う決断をする。そして、一日分遅れても、二日分は「やらない」、一日分しかやらない決断をする。
優柔不断なとき、心にはあれをやっておいた方がいいんじゃないか、これをやっておいた方がいいんじゃないか、と言う悩みや迷いが生まれている。その大本は、自分の作品が人前に発表されたとき、何も評価されないんじゃないだろうかと言う不安、つまり損だ。その損を避けようとした結果、あれもやろう、これもやろうとして逆に損をする、まさに行動経済学で扱うモデルの典型ともいえる。
何が損なのか?
この認識を別の場所に移せば決断力は身についてくる。未完成は最大の損なのだ。迷いは時間の無駄でしかない。諦め、妥協し、出来る事のベストを尽くす。取り入れたい要素は次以降の未来の作品に導入する。そのためにメモをとっておき、今作への導入は諦める。完成を優先させる。今の作品を面白くする努力、バランスをする。
結局のところ、どんな要素を取り入れたところで、自分自身が認識したのは断片に過ぎず、その要素を取り入れたからと言って面白くなる保証はない。今の作品を面白くするツボを探す努力、元々どこに面白いと思ってもらいたかったのかさえ見失わなければ、名作とはいかなくとも楽しんでもらえるところまでは、それほど難しくは無い。そして、何か一つでも面白く出来なければ、何を作っても面白くはならないし、何をやっても面白くはならない。
だからゲーム作成中に遭遇する、ありとあらゆる刺激、誘惑は、どこかに残して、今作っている作品にはシャットアウトするようにしよう。妥協しないのと強欲は似て異なる。妥協するから、完成する。妥協する、と言う決断を早く下せるから、時間を無駄にしない。
決断が遅いからもたもた悩むのだ。
決断しよう。そして諦めよう。出来ることは限られている。なんでもできる天才なら、こんなブログを読んでないはずだ。まずは完成させること。とにかく完成させること。
その間に技術はどんどん進歩し、新しいゲームが発売され、それに影響を受けてこんなものをやりたいと思ってしまう。新しい映画を見て、こんな話を取り入れたいと思ってしまう。新しい何か、と言う誘惑があまりにも多く、そして、影響を受けずとも誘惑の方に時間が割かれ、一日手を付けなかったことが重しとしてのしかかる。まるで夏休みの宿題のように。一日分の遅れを取り戻そうとして二日分、三日分、さぼればさぼるほど自分の作業のハードル、量を多くしていって、自分で心を折ってしまう。
経験、無いだろうか。
以前、妥協しないことは甘えだと書いた。これはその話とほぼ同じで、妥協と決断は同義だと思っても問題ない。
新しいゲームに影響を受けたとき、その新しい要素を、今作っているゲームには「取り入れない」決断をする。新しい映画に影響を受けたとき、その新しい要素を、今作っているシナリオには「取り入れない」決断をする。新しい何かの誘惑に乗っても、何分までと時間を決め、必ず一日、短くてもいいから何かしら手を付けると言う決断をする。そして、一日分遅れても、二日分は「やらない」、一日分しかやらない決断をする。
優柔不断なとき、心にはあれをやっておいた方がいいんじゃないか、これをやっておいた方がいいんじゃないか、と言う悩みや迷いが生まれている。その大本は、自分の作品が人前に発表されたとき、何も評価されないんじゃないだろうかと言う不安、つまり損だ。その損を避けようとした結果、あれもやろう、これもやろうとして逆に損をする、まさに行動経済学で扱うモデルの典型ともいえる。
何が損なのか?
この認識を別の場所に移せば決断力は身についてくる。未完成は最大の損なのだ。迷いは時間の無駄でしかない。諦め、妥協し、出来る事のベストを尽くす。取り入れたい要素は次以降の未来の作品に導入する。そのためにメモをとっておき、今作への導入は諦める。完成を優先させる。今の作品を面白くする努力、バランスをする。
結局のところ、どんな要素を取り入れたところで、自分自身が認識したのは断片に過ぎず、その要素を取り入れたからと言って面白くなる保証はない。今の作品を面白くするツボを探す努力、元々どこに面白いと思ってもらいたかったのかさえ見失わなければ、名作とはいかなくとも楽しんでもらえるところまでは、それほど難しくは無い。そして、何か一つでも面白く出来なければ、何を作っても面白くはならないし、何をやっても面白くはならない。
だからゲーム作成中に遭遇する、ありとあらゆる刺激、誘惑は、どこかに残して、今作っている作品にはシャットアウトするようにしよう。妥協しないのと強欲は似て異なる。妥協するから、完成する。妥協する、と言う決断を早く下せるから、時間を無駄にしない。
決断が遅いからもたもた悩むのだ。
決断しよう。そして諦めよう。出来ることは限られている。なんでもできる天才なら、こんなブログを読んでないはずだ。まずは完成させること。とにかく完成させること。
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