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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

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2016/03/26 (Sat)
ゾンビにヒトのカタチをさせる理由
ぶっちゃけた話が、Tウィルスが街中に放り込まれた際、一番やばいのは飼育下にあった犬猫であって、走る事もままならない人型のゾンビは大した脅威ではない。というよりも、その他の方がもっと脅威になる。

 自然界においてヒトが誇れるNo.1の身体能力は、物を遠くに投げる力だ。野生下において物を投げられる生き物はほぼおらず、飼育下のサルらが覚える程度でしかない。しかも、どちらかと言うと遊びでやっている節が強く、狩りのため、攻撃のため、身を守るために物を投げるのは人間しかいない。これは極めて理性的な行動で、本能だけとなると投げると言うのは難しくなる。

 走るのは遅く、筋力も大して高くなく、図体は半端に大きく、人間のためにデザインされた都市部では意図しなければ隠れる事は難しい。一番の武器である投擲を失ったとなると、もはや頼みは数しかない。

 立てこもる事だけを考えるならば、頑丈な扉をいくつも用意しておけばいいのだが、密閉は難しい。通気はもちろん、下水など、建物には色々な穴がある。犬や猫などは、その身軽さで上からくることもあるかもしれない。もっと小さな昆虫などを防ぎきるのは非常に難しい。よって、人よりもその他の生き物の方が、圧倒的に襲われる危険性が高い。のだが、大抵のゾンビゲーは元人間を最初に相手にする。

 人間外の物が現れたとしても、人間から変異したものだったり、二足歩行出来る生き物だったりとどこかに人型を残している。その他の動物に関してはそもそも登場しないか、登場しても極めて健康的で、時には肉が手に入ることもある。

 もちろん、容量の問題でそんなに敵の種類を出せない、と言う大人の事情があるのも解る。だが、人型でなければならない理由は無いはずだ。例えば主人公をペットの動物にしてもいい訳だ。ゲームなんだから。架空の世界で創作されたものなのだから、いくらでも嘘をついても構わない。にもかかわらず、人の形をしたものが数多く敵として登場し、人の形をしたものを操作する。

 もっと極端な例を言えば、ボンバーマンは操作キャラが人型でなくともゲームとしては成立するし、I.Qの操作キャラも人型でなくともゲームは成立する。アイコンとして解ればよいのだから、別段操作キャラはパックマンでも構わない訳だ。レミングスだって、設定上は確かネズミなのだから、人型にして歩かせる必要もないはずなのだ。

 これに対して、操作キャラが人型ではないゲームがある。落ち物パズルゲームだ。落ちてくるものが人間であった事は、少なくとも筆者が知る範囲では無い。別に、テトリスと同じ形をさせた人間が落ちてきても構わない訳だ。

 という事は、操作キャラが人型でなければならない理由と、落ちて来るブロックが人型であってはならない理由という物がどこかに存在していることになる。

 まぁ、ほぼ予想はついていると思うが、人間がブロックと同じポーズをとって落ちて来るテトリスが仮に実在したとしよう。ブロックの見た目が人間というだけで、ルールは全く同じ。つまり、横一列をそろえると消える訳だ。人体が一部を残して。

 ゲームを進めると、頭だけが転がっていたり、胴だけ、胴とお尻だけ、足だけと言った死体を連想させるものが山ほど散在することになる。非常に見た目にきついものがあり、気分が悪くなるだろう。

 実際に人が落ちて来るぷよぷよをイメージしてみよう。ぷよは上半身と下半身で色の違う服を着た人、という事にする。当然消えた際には上半身か下半身だけが残る人が続出する。テトリスと同様、想像するとやや吐き気を催す情景となる。

 だがしかし。人体が欠損するゲームなど実は山ほど存在する。モータルコンバットを思い浮かべて欲しい。プレイヤーとしてフェイタリティを決めた瞬間、グロ描写はされるが、そのグロ描写と今思い浮かべた二つの情景、どちらの方が気分が悪いか。フェイタリティにはある種の爽快感を味わう一方で、人間ぷよぷよや人間テトリスには不快感が付きまとっている。

 どちらも死体が散在しているという点では全く同じなのにだ。

 両者の違いはただ一つ。

 自分が操作した人型か否かだ。

 自分自身が操作した人型は、プレイヤーにとっては自身の分身にあたる。それを、一部を残して消す、と言う操作を自分自身が行う。心理的にこれは自殺に相当し、一部が散在しているというのは、自殺した時分の死体の欠損をそこかしこに放置し、それを見続けているに等しい。人間テトリスに対する不快感は、こういった生理的要素からくるものだ。

 人間、共感する生き物であり、その共感は大雑把に自身と同じ形状をしたものに向けられる。二足歩行であれば大体自分と同じようなものだと認識してしまう。そして、それを操作するとなれば、まさに自分自身に降りかかっているものであるかのような錯覚を覚える。だから、I.Qは人型でなければならなかった。危機感を出すために。キューブに潰されたり落下したりするという、生命の危機、つまり損を強く認識するためにだ。

 そしてゾンビゲーは人間の形をしているからこそ、ああなるのかもしれないという恐怖が芽生える。だから、ヒトのカタチでなければならないのだ。リッカーにせよ、ハンターにせよ、ヒトガタを相手にするときは、ゾンビ犬や巨大蜘蛛、ラスボス第三形態や巨大植物を倒す時よりも心理的なプレッシャーがやや強い。と言うよりも、その他を倒す時はうっとおしいと思う事の方が多い。倒した時の爽快感はゾンビほどはない。

 人の形をしているからこそ、発揮される効果という物がある。恐らくは連想によるものなのだろうとは思う。そしてこれはゲームに限った話でも無く、例えば藁人形もわざわざ人の形を作っていたり、人形供養で寄せられるものも大半がヒトガタである。供養と言う意味では剥製の方がよっぽど供養してやらなければならないと思うが、剥製が供養に出されたという話はほぼ聞いたことが無い。逆に人間の剥製というのは、まぁ人体の不思議展ぐらいでしかお目にかからず、それも犯罪者と、一般人であることは少ない。

 ヒトのカタチという物は、非常に大きな心理効果をもたらし、そこに敵だとか、犯罪者だとか、もう人間ではないなどのレッテルが有るからこそ、倒した時の爽快感が増加され、操作するからこそその身に降りかかる損を自分自身と照らし合わせてしまう。

 だから、ゾンビはヒトガタだし、テトリスはブロックだし、救う対象であるレミングスはヒトガタで、操作対象のI.Qはヒトガタなのだ。

 という事はだ。もし今作っているゲームで何かインパクトが足りないようであれば、それはもしかすると、ヒトガタ不足なのかもしれない。

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