同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。
2024/11/21 (Thu)
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2016/03/26 (Sat)
ゾンビにヒトのカタチをさせる理由
ぶっちゃけた話ですが、Tウィルスが街中に放り込まれた際、一番やばいのは飼育下にあった犬猫であって走る事もままならない人型のゾンビは大した脅威ではないです。というよりも、その他の方がもっと脅威になります。
自然界においてヒトが誇れるNo.1の身体能力は、物を遠くに投げる力です。野生下において物を投げられる生き物はほぼおらず、飼育下のサルらが覚える程度でしかありません。しかも、どちらかと言うと遊びでやっている節が強く、狩りのため、攻撃のため、身を守るために物を投げるのは人間しかいません。これは極めて理性的な行動で、本能だけとなると投げると言うのは難しくなるようです。
走るのは遅く、筋力も大して高くなく、図体は半端に大きく、人間のためにデザインされた都市部は意図しなければ隠れるのも難しい設計です。一番の武器である投擲を失ったとなると、もはや頼みは数しかありません。
ゾンビ化した人間相手に立てこもる事だけを考えるならば、頑丈な扉をいくつも用意しておけばいいのですが、他のゾンビ化した生き物の相手を想定すると難易度が上がります。通気はもちろん、下水など、建物には色々な穴があります。犬や猫などは、その身軽さで上からくることもあるかもしれません。もっと小さな昆虫などを防ぎきるのは非常に難しい。よって、人よりもその他の生き物の方が、圧倒的に危険性が高いのです。高いのですが、大抵のゾンビゲーは元人間を最初に相手にします。不思議に思いませんか? 実際には大した脅威にはならない相手です。
もちろん、容量の問題でそんなに敵の種類を出せない、と言う大人の事情があるのも解ります。ですが、人型でなければならない理由は無いはです。例えば主人公をペットの動物にしてもいい訳です。ゲームなんだから。架空の世界で創作されたものなのだから、いくらでも嘘をついても構わない訳です。にもかかわらず、人の形をしたものが数多く敵として登場し、人の形をしたものを操作します。
もっと極端な例を言えば、ボンバーマンは操作キャラが人型でなくともゲームとしては成立しますし、I.Qの操作キャラも人型でなくともゲームは成立します。アイコンとして解ればいいのですから、別段操作キャラはパックマンでも構わない訳です。レミングスだって、設定上は確かネズミなのだから、人型にして歩かせる必要もないはずです。
(パックマンも後に1頭身の手足の生えたヒトガタになります)
一方、操作キャラが人型ではないゲームがあります。落ち物パズルゲームです。落ちてくるものが人間であった事は、少なくとも自分が知る範囲では存在しません。別に、テトリスと同じ形をさせた人間が落ちてきても構わないはずです。なのに人型を落下させて条件によってそれらが消滅するゲームはかなりレアな存在なのはなぜでしょう?
操作キャラが人型でなければならない理由と、落ちて来るブロックが人型であってはならない理由という物がどこかに存在しているはずです。
この答えについてですが、ほぼ予想はついていると思いますが、例えば人間がブロックと同じポーズをとって落ちて来るテトリスが仮に実在したとします。ブロックの見た目が人間というだけで、ルールは全く同じ。つまり、横一列をそろえると消える訳です。人体が一部を残して。
ゲームを進めると、頭だけが転がっていたり、胴だけ、胴とお尻だけ、足だけと言った死体を連想させるものが山ほど散在することになります。非常に見た目にきついものがあり、気分が悪くなるでせほう。
あるいは実際に人が落ちて来るぷよぷよではどうでしょう?。ぷよは上半身と下半身で色の違う服を着た人、という事にします。当然消えた際には上半身か下半身だけが残る人が続出します。テトリスと同様、想像するとやや吐き気を催す情景となります。
だがしかし。人体が欠損するゲームなど実は山ほど存在します。モータルコンバットを思い浮かべてください。プレイヤーとしてフェイタリティを決めた瞬間、グロ描写はされるが、そのグロ描写と今思い浮かべた二つの情景、どちらの方が気分が悪いでしょう? フェイタリティにはある種の爽快感を味わう一方で、人間ぷよぷよや人間テトリスには不快感が付きまとっています。
どちらも死体が散在しているという点では全く同じなのに、です。
両者の違いはただ一つ。
自分が操作した人型か否か、です。
自分自身が操作した人型は、プレイヤーにとっては自身の分身にあたります。それを、一部を残して消す、と言う操作を自分自身が行う。心理的にこれは自殺に相当し、一部が散在しているというのは、自殺した時分の死体の欠損をそこかしこに放置し、それを見続けているに等しい行為です。人間テトリスに対する不快感は、こういった生理的要素からくるものと言えるでしょう。
人間、共感する生き物であり、その共感は大雑把に自身と同じ形状をしたものに向けられます。二足歩行であれば大体自分と同じようなものだと認識してしまいます。そして、それを操作するとなれば、まさに自分自身に降りかかっているものであるかのような錯覚を覚えます。だから、I.Qのプレイヤーシンボルは人型である必然性があります。危機感を出すため、キューブに潰されたり落下したりするという、生命の危機、つまり損を強く認識するためです。
そしてゾンビゲーは人間の形をしているからこそ、ああなるのかもしれないという恐怖が芽生えます。だから、ヒトのカタチでなければならないのです。リッカーにせよ、ハンターにせよ、ヒトガタを相手にするときは、ゾンビ犬や巨大蜘蛛、ラスボス第三形態や巨大植物を倒す時よりも心理的なプレッシャーがやや強くあります。と言うよりも、ヒトガタ以外を相手にする時はうっとおしいと思う事の方が多いと思います。倒した時の爽快感はゾンビほどはありません。
人の形をしているからこそ、発揮される効果という物があります。恐らくは連想によるものなのだろうとは思います。そしてこれはゲームに限った話でも無く、例えば藁人形もわざわざ人の形を作っていたり、人形供養で寄せられるものも大半がヒトガタです。供養と言う意味では剥製の方がよっぽど供養してやらなければならないと思うのですが、剥製が供養に出されたという話はあまり聞いたことがありません。逆に人間の剥製というのは、まぁ人体の不思議展ぐらいでしかお目にかからず、それも犯罪者と、一般人であることは滅多にありません。
ヒトのカタチという物は、非常に大きな心理効果をもたらし、そこに敵だとか、犯罪者だとか、もう人間ではないなどのレッテルが有るからこそ、倒した時の爽快感が増加され、操作するからこそその身に降りかかる損を自分自身と照らし合わせてしまう、そういう効果を持ちます。
だから、ゾンビはヒトガタだし、テトリスはブロックだし、救う対象であるレミングスはヒトガタで、操作対象のI.Qはヒトガタなのです。
という事は、もし今作っているゲームで何かインパクトが足りないようであれば、それはもしかすると、ヒトガタ不足なのかもしれません。何か操作する対象や敵をヒトガタにしてみれば面白さが増える、かも知れないので試してみてください。
自然界においてヒトが誇れるNo.1の身体能力は、物を遠くに投げる力です。野生下において物を投げられる生き物はほぼおらず、飼育下のサルらが覚える程度でしかありません。しかも、どちらかと言うと遊びでやっている節が強く、狩りのため、攻撃のため、身を守るために物を投げるのは人間しかいません。これは極めて理性的な行動で、本能だけとなると投げると言うのは難しくなるようです。
走るのは遅く、筋力も大して高くなく、図体は半端に大きく、人間のためにデザインされた都市部は意図しなければ隠れるのも難しい設計です。一番の武器である投擲を失ったとなると、もはや頼みは数しかありません。
ゾンビ化した人間相手に立てこもる事だけを考えるならば、頑丈な扉をいくつも用意しておけばいいのですが、他のゾンビ化した生き物の相手を想定すると難易度が上がります。通気はもちろん、下水など、建物には色々な穴があります。犬や猫などは、その身軽さで上からくることもあるかもしれません。もっと小さな昆虫などを防ぎきるのは非常に難しい。よって、人よりもその他の生き物の方が、圧倒的に危険性が高いのです。高いのですが、大抵のゾンビゲーは元人間を最初に相手にします。不思議に思いませんか? 実際には大した脅威にはならない相手です。
もちろん、容量の問題でそんなに敵の種類を出せない、と言う大人の事情があるのも解ります。ですが、人型でなければならない理由は無いはです。例えば主人公をペットの動物にしてもいい訳です。ゲームなんだから。架空の世界で創作されたものなのだから、いくらでも嘘をついても構わない訳です。にもかかわらず、人の形をしたものが数多く敵として登場し、人の形をしたものを操作します。
もっと極端な例を言えば、ボンバーマンは操作キャラが人型でなくともゲームとしては成立しますし、I.Qの操作キャラも人型でなくともゲームは成立します。アイコンとして解ればいいのですから、別段操作キャラはパックマンでも構わない訳です。レミングスだって、設定上は確かネズミなのだから、人型にして歩かせる必要もないはずです。
(パックマンも後に1頭身の手足の生えたヒトガタになります)
一方、操作キャラが人型ではないゲームがあります。落ち物パズルゲームです。落ちてくるものが人間であった事は、少なくとも自分が知る範囲では存在しません。別に、テトリスと同じ形をさせた人間が落ちてきても構わないはずです。なのに人型を落下させて条件によってそれらが消滅するゲームはかなりレアな存在なのはなぜでしょう?
操作キャラが人型でなければならない理由と、落ちて来るブロックが人型であってはならない理由という物がどこかに存在しているはずです。
この答えについてですが、ほぼ予想はついていると思いますが、例えば人間がブロックと同じポーズをとって落ちて来るテトリスが仮に実在したとします。ブロックの見た目が人間というだけで、ルールは全く同じ。つまり、横一列をそろえると消える訳です。人体が一部を残して。
ゲームを進めると、頭だけが転がっていたり、胴だけ、胴とお尻だけ、足だけと言った死体を連想させるものが山ほど散在することになります。非常に見た目にきついものがあり、気分が悪くなるでせほう。
あるいは実際に人が落ちて来るぷよぷよではどうでしょう?。ぷよは上半身と下半身で色の違う服を着た人、という事にします。当然消えた際には上半身か下半身だけが残る人が続出します。テトリスと同様、想像するとやや吐き気を催す情景となります。
だがしかし。人体が欠損するゲームなど実は山ほど存在します。モータルコンバットを思い浮かべてください。プレイヤーとしてフェイタリティを決めた瞬間、グロ描写はされるが、そのグロ描写と今思い浮かべた二つの情景、どちらの方が気分が悪いでしょう? フェイタリティにはある種の爽快感を味わう一方で、人間ぷよぷよや人間テトリスには不快感が付きまとっています。
どちらも死体が散在しているという点では全く同じなのに、です。
両者の違いはただ一つ。
自分が操作した人型か否か、です。
自分自身が操作した人型は、プレイヤーにとっては自身の分身にあたります。それを、一部を残して消す、と言う操作を自分自身が行う。心理的にこれは自殺に相当し、一部が散在しているというのは、自殺した時分の死体の欠損をそこかしこに放置し、それを見続けているに等しい行為です。人間テトリスに対する不快感は、こういった生理的要素からくるものと言えるでしょう。
人間、共感する生き物であり、その共感は大雑把に自身と同じ形状をしたものに向けられます。二足歩行であれば大体自分と同じようなものだと認識してしまいます。そして、それを操作するとなれば、まさに自分自身に降りかかっているものであるかのような錯覚を覚えます。だから、I.Qのプレイヤーシンボルは人型である必然性があります。危機感を出すため、キューブに潰されたり落下したりするという、生命の危機、つまり損を強く認識するためです。
そしてゾンビゲーは人間の形をしているからこそ、ああなるのかもしれないという恐怖が芽生えます。だから、ヒトのカタチでなければならないのです。リッカーにせよ、ハンターにせよ、ヒトガタを相手にするときは、ゾンビ犬や巨大蜘蛛、ラスボス第三形態や巨大植物を倒す時よりも心理的なプレッシャーがやや強くあります。と言うよりも、ヒトガタ以外を相手にする時はうっとおしいと思う事の方が多いと思います。倒した時の爽快感はゾンビほどはありません。
人の形をしているからこそ、発揮される効果という物があります。恐らくは連想によるものなのだろうとは思います。そしてこれはゲームに限った話でも無く、例えば藁人形もわざわざ人の形を作っていたり、人形供養で寄せられるものも大半がヒトガタです。供養と言う意味では剥製の方がよっぽど供養してやらなければならないと思うのですが、剥製が供養に出されたという話はあまり聞いたことがありません。逆に人間の剥製というのは、まぁ人体の不思議展ぐらいでしかお目にかからず、それも犯罪者と、一般人であることは滅多にありません。
ヒトのカタチという物は、非常に大きな心理効果をもたらし、そこに敵だとか、犯罪者だとか、もう人間ではないなどのレッテルが有るからこそ、倒した時の爽快感が増加され、操作するからこそその身に降りかかる損を自分自身と照らし合わせてしまう、そういう効果を持ちます。
だから、ゾンビはヒトガタだし、テトリスはブロックだし、救う対象であるレミングスはヒトガタで、操作対象のI.Qはヒトガタなのです。
という事は、もし今作っているゲームで何かインパクトが足りないようであれば、それはもしかすると、ヒトガタ不足なのかもしれません。何か操作する対象や敵をヒトガタにしてみれば面白さが増える、かも知れないので試してみてください。
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