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同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。

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TRPGの場合、システム側でプレイヤーを動かす損が用意されていることはあまりありません。あったとしてもそれはキャラロストに対するもので、行動の動機とはまずなりません。TRPGでプレイヤーを動かす損はシナリオに依存しています。

 という事は、上手く回ったシナリオの構造はTRPG以外に持って行ってもうまく機能するはずです。自己流ではありますがシナリオの作り方をまとめてみましたので、参考になれば幸いです。

シナリオの作り方。
  • 登場予定のPC像を考える
  • NPCを作る
  • 組織相関図を作る
  • PLを放り込む
  • 対立の構造を必ず盛り込む

登場予定のPC像を考える

 どんなPCが活躍するのか。誰にどんな事をやらせたいのか。そういう部分をまず決めます。

 知り合いのみで遊ぶのであれば誰の持っているどのキャラかまで指定しても大丈夫だと思います。また、全然知らない人とやる場合も同様に想定として身内のキャラを狙った作りにしても問題はありません。きちんとキャラクター像を説明できれば多少はズレるでしょうが大きくズレる事はまずありません。

 TRPGではダンジョンにせよ人間関係にせよ、解決方法を探ってもらうのがメインの楽しみ方になります。よって、行動を制限するのではなく「こういう問いかけをする」「こういう状況を作る」と言った具合にアバウトな決め方で問題ありません。シナリオ作成の初期段階ではもちろん、最終段階になっ てもPLがどう行動するかについてはアバウトなまま、方向性だけはある程度決めておくといろんな状況に対応が可能です。

 シナリオ作成段階ではあまりPLの行動、NPCの行動に関しては具体的にしない方がいい結果になります。GMの朗読が一番イタイです。

NPCを作る

 最低限、必要なNPCはセッションのボスです。このボスを作るところからまず始めます。以下の物を決めるとスムーズに進みやすいと思います。

  • ラスボスの目的
  • ラスボスの性格(人間性)
  • ラスボスの交友関係など背景

 どういう人生を送ってきて、その目的にたどり着いたのか。どういう性格で、どういう考え方をしているのか。リストをまず作ります。

 ラスボス以外のNPCはPCとPCを繋ぐための存在として機能させます。ラスボスも共通の目的という意味では同様の機能を持ちますが、特定の人物同士をつなげるなど、より具体的な役割としてNPCを存在させておきます。ラスボス以外のNPCに関しても、ラスボス同様に、このシナリオにおける目的、本 人の人間性、バックグラウンドなどはある程度決めた方がいいのですが、作業量の面ではあまり多数を用意しない方が楽です。セッション中に把握できる人数も限度がありますので、なるべく少なくした方が良いと思います。

組織相関図を作る

 シナリオ内の利害関係をより強めるため組織の相関図を作る。簡単なものでも大丈夫です。例えば以下の物も立派な相関図と言えます。

盗賊

 実にシンプル。村は集団なので組織ですし、盗賊もまた集団ですので組織と言えます。シナリオや登場人物に合わせて組織は増減しますが、最低でも2つは必要です。1つの場合は対立による問題は発生しません。内部抗争の場合、内部で組織が二つあるのでこの場合は二つと数えることが出来ます。

 これも結局は損なのです。要は村は盗賊により損を受けているので、これを解決するために冒険者たるPCを雇う。盗賊側は美味しい略奪先が冒険者を雇う事で稼ぎが無くなるかもしれない。と言う具合に、お互いに損が発生するのでこれを阻止しようとした結果、シナリオにも解りやすさが生まれます。

 NARUTOで暁が「世界征服だ」と目的を語った時に一気に面白みが欠けてしまったのはそこで、別に暁は世界から損を受けているわけではないんですね。征服した後に世界を食わせていくビジョンもない。暁が暁としてやりたい事が一気に不明瞭になってしまいました。対立の構図だけ用意して、損という中身を用意しないとこうなると言う好例かと思います。

PLを放り込む

 そして用意した組織同士の対立にPCを当てはめます。よくあるパターンでは、PLは村や盗賊に押し込んだ状態でのスタートです。

盗賊
PC

対立の構造を必ず盛り込む

 上記の例は解りやすいのですが、TPRGでは少し面白みに欠ける内容になりがちです。そこで、少し手を加えてこういう形にすると、PC間でのドラマが生まれやすくなります。

盗賊
PC1,2 PC3,4

 で、人物の相関図で、例えば、PC1とPC3は切っても切れない関係だったとかそういうものにしてやると、PC側は一つにまとまろうとするようになります。こうなってくると、村の言い分、そして盗賊の言い分が必要になってきて、勧善懲悪ものでは無くなります。PC側がどうするのかという判断で、結末が多様に変化するようになり、そういう結末の多様性はTRPGだからこそ出来る事と言えるでしょう。

 となると、NPCの設定がある程度しっかりしていないと、こういうときこいつはこう動く、と言うのが解らなくなってしまいます。どんな展開になってもしっかり支えられるよう、NPCの設定はぶれない柱のようにしっかりと作る必要があります。

 なぜPCを二分するのかと言うと、これもやはり損が必要だからです。これまでの構造は、村と盗賊の間にはそれぞれ損は発生したが、PCには特にこれと言った損は発生していません。せいぜい報酬が有るか無いか程度で、断ろうと思えば断れてしまいます。オープニングでシナリオが破綻する恐れがあります。これを防ぐため、損を受けている当事者にしないといけません。二つに分ける事で、双方の損を体感してもらって、その上で一番損しない方法をPLが見出すよう仕向けます。

 例えばですが、実は村の側は他所からやってきた集団で、盗賊とされている人たちは元々そこに住んでいた人であればどうでしょう? この場合、PC1はただ雇われただけだとしても、PC3は村に戻って来たら村の景色が全然違って、辺りを探ったら旧知の人らが集まっていたと。で、PC3は村に顔を知られていないので偵察に出たら、雇われて攻撃しようとしているPC1に出会う。「お前何やってんの!?」という会話がここで始まり、対立して双方がラスボスになるか、村人を追い出すか、それとも盗賊を追い出すか、というGMが想定しないドラマがここから展開されるようになります。

 コンピューターゲームでこれをやるのは非常に面倒です。アドリブを利かせられるTRPGならではですね。

 また、ここでPCらのとった行動と言うのは、今後、シナリオを作る上でもいいネタとなりうるので、もしTRPGをやる機会があるのなら、是非GMに挑戦してみて下さい。
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損のデザイン

限定された期間
 なし
リソースの管理
 あり
明示された選択肢
 あり

分析と感想

 将棋はどの学校にも部活があるぐらい国民的なテーブルゲームの一つです。チャトランガと呼ばれたゲームがシルクロードを渡り世界へ広がる過程において、極東で将棋になり、西洋でチェスになったと言われています。世界各地で何度もルール改正やら駒の種類の増減、盤面の大きさ変更などが行われ、将棋も例外ではなかったそうです。

 素人が友人と指したり、部活で部員同士が適当に指す将棋では限定された期間は存在していません。あまりに考える時間が長いと怒られるかもしれませんが、明確に何分という規定はありません。ただし、プロでは持ち時間が設定されています。尤も、この持ち時間はゲーム性の為ではなく対局をスムーズに行うためなので、ゲームデザイン上においては限定された期間は存在していません。

 将棋がユニークなのは持ち駒の存在で、相手から取得した駒が新たなリソースとして機能するようになっています。この持ち駒というリソース管理の追加は付加価値が上手く機能した好例と言えるでしょう。

 明示された選択肢は、元となった(とされる)チャトランガやチェスが持っているもの、すなわち、盤上の駒と、各駒の移動範囲です。どの駒を動かすのか、2マス以上動けるものはどの場所に動かすのか、相手の移動範囲をどう制限していくか、逆にどう乗り切るかなど、選択しなければならない物はその時々により変化します。また、敵陣に入った際に成るか成らないかの選択肢も明示されています。

 長い時間を経てこの9x9マス、8種の駒に落ち着いたのには、恐らく認知の問題がそこにあると思われます。横9マスは、王将を中心として左右に4マス。これは人間が意識して認識できる範囲の限界で、最下段は左右対称となるのもこれに起因します。さらに縦の9マスは3分割して3マスずつと認識しやすいエリアを構成しています。特に自陣が3マスとなるとどこを動かすかは非常に認識しやすいのだが、4マスとなると途端にめんどくささが勝ります。古将棋を見てもらえれば解ると思いますが、初期配置を見るだけでやる気がそがれます。

 広くなるとやる気は無くなりますがかといって狭くても混乱をしてしまうもので、7x7の禽将棋はごちゃっとした印象を受けます。余白が無いため、そして認知として7x7をすべて認識してしまおうとするためと、駒の名称がどれもこれも画数が多いため判別しづらいなどが要因です。

 古将棋と本将棋を見比べる事で認識しやすいデザインとは何かも知ることが出来ると思いますので、時間があればやってみて下さい。

追記
 余談ではありますが、AIの進歩によりプロ将棋の中継では勝率が表示されるようになりました。この勝率表示は将棋のルールが解らない人にも直感的にどちらが優勢か解りやすく、非常に良いUIとして参考にすべきものと個人的には考えています。

リスクとリターン

 桜井政博氏曰く、ゲーム性とはリスクとリターンとの事です。将棋の場合はどこにリスクとリターンが存在するのか整理してみます。

 将棋の場合はコマですよね。接触して相手のコマを倒す事により、自軍の手駒も増え、相手の戦力は減ります。一方で座標が変わってしまうため、どこかにスキが発生します。 元々は持ち駒というような概念が無かったと言われていますので、持ち駒が無い場合は以下のような形になると思います。

リスク
 何かしらの駒が危険にさらされる
リターン
 相手の駒を減らすことが出来る

 リスクを押さえてリターンを得るには個々の駒の移動範囲を把握し、陣形を組む必要があります。陣形を組まれてしまうとゲーム性はその陣形をいかにして崩すかという内容に置き換わるのではないかと思います。

 つまり、戦略としては陣形の構築、撃破、再構築、その妨害というような感じになるのではないかと考えます。

損のデザイン

限定された期間
 あり
リソースの管理
 あり
明示された選択肢
 あり

分析と感想

 一口にポーカーと言っても色々な種類があります。中でもテキサスホールデムはポーカーの世界戦などでも使われるルールで、日本ではあまり馴染みは有りませんが、アメリカではこちらが主流です。モンスターハンターTRPGのルールの原型にもさせてもらっています。詳しいルールについては、各自で調べて下さい。

 通常の5枚の手札を自分で持つ慣れ親しんだポーカーですと、手札の交換を何回まで行うかについてローカルルールが存在する場合があります。ゲームセンターにあるものは大体一回ですが、家庭や旅館で遊ぶ場合は、誰かがストップをかけるまで、と言う事もあります。

 テキサスホールデムではこれに対して回数が決められていて、共有のカードが一枚配られるたびに乗るか、降りるかを迫られます。

 通常のポーカーであればどの手札を交換するかとなり、手札は当然リソースと言えます。テキサスホールデムの場合は管理と言うよりリソースを生かすか畳むかの選択になります。むしろチップ管理の方がリソースとしてのウェイトが大きいでしょう。ここでは今の手役が伸びそうか否かの選択が重要となります。ワンペアならいくらでも伸びる可能性はありますが、ストレートの場合、役は頭打ちになります。場でワンペアが出来上がっていた場合、もし相手にワンペアが出来上がっていたらフルハウスまで伸びる可能性があります。

 元々、勝負するか降りるか、と言う選択肢が明示されています。いつ勝負するかはローカルルールによりけりですが、テキサスホールデムの場合、これを数回に分けて行います。最初に配られた手札、場のカード、追加のカードなどで勝負に乗るか、勝負から降りるかと言う選択肢が常に提示されています。

 ポーカーの面白さはカードの選択に期間の制限とリソースの管理が詰め込まれている所で、テキサスホールデムは勝負の選択回数を増やす事で期間の制限をより強く意識させることに成功したデザインです。付加価値によるアレンジの好例と言えるでしょう。

 世のソシャゲーも、付加価値が負荷価値とならないよう、テキサスホールデムを見習ってみるのも良いと思います。

リスクとリターン

 桜井政博氏曰く、ゲーム性とはリスクとリターンとの事です。ではポーカーのリスクとリターンはどこにあるのでしょうか。

 一般的なポーカーの場合、手札の交換で役が良くなるかもしれないと言うリスクリターンがあります。テキサスホールデムでは、場のカードがめくられる度にベッドで乗るか、降りるかのゲーム性が発生していると思います。どちらかというと賭け金に対してのゲーム性が強いように思います。

賭けに対するリスクリターン
リスク
 手が負けて賭け金を失うかもしれない
リターン
 相手に買って賭け金が増えるかも知れない


 このリスクリターンに対して戦略性と言えるのは各自の伏せカードでしょう。

 自分自身が伏せているカードが共有しているカードに対してどの程度の展望が見られるのか。そして相手がいくらベッドしてきているのか等を探りつつ、リスクを取るか、リスクを避けるかを判断する。ここに戦略性と面白さが隠れているのではないかなと思います。

 次に期待したカードが出てくるか否かはやっていて楽しいですし、変化や驚きといった感情の動きも伴います。見た目で解りやすいと言うのも一つの要素だと思います。長く愛されるゲームにはそれなりの理由が存在しますね。
主人公やその知人等、物語の中心人物になればなるほど、欠点や弱点のようなものは有ったほうが良いです。人間、どこかで自分自身と照らし合わせる生き物で、欠点の無い人や失敗をした事の無い人は居ません。だからこそ容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、性格も謙虚とかになると、こいつ裏があるんじゃないかと考えてしまいます。

 敵対する相手ならそれで嫌われるのも悪くは無いのですが、ヒロインや悪友などであればそんな所で嫌われるのはもったいないですし、主人公であればなおさらです。めだかちゃんでさえ、人としてどこかおかしい欠点がありますし、ゴルゴにもスナイプの瞬間の姿勢、依頼のルート、ギランバレー症候群など弱点や守らなければならない物があります。

 弱点や欠点を作ったら、必ずこれを誰かに指摘させましょう。そして指摘されたら一度それを受け入れさせてやりましょう。受け入れる事で、愛嬌が沸いてきます。丁度実例があります。

「このブログ、デザインの綴り間違ってない?」
「インドネシア語だよ。知らないの?」

 この会話と……。

「このブログ、デザインの綴り間違ってない?」
「!?」
「い、インドネシア語だよ、インドネシア語! gameは外来語だから、そのままなんだよ!」

 と、どちらが好感が持てるか、と言う話ですね。あっさりと用意した言い訳で返すのに対し、一度驚かせて失敗を受け入れさせ、その上で慌てさせるのとではどちらがイヤミに見えないか。いや、実際ですね? このURLを取るときに綴りに違和感はあったんですよ、確かに。あれ? おかしくね? って。でもね? google先生に「desain」で聞くじゃん? そしたら「もしかして:design」って言ってくれなかったんですよw 奇跡的にインドネシア語でdesainがあったから!w google先生がもしかしてって言ってくれないなら合ってるんだって思うじゃん? 思わない? しかもこの記事を書いたから引っ越しするときとかも、「desain」にしなきゃ駄目ですよw やっちまったぜ!www

 ……まぁ言い訳は置いといて。要は、失敗があるから、弱点があるから、あ、この人は自分と同じだ、っていう共感がどこかで芽生えてきます。同じだと思える場所があるから、そこをとっかかりにして感情移入が出来きます。小池一夫先生も「主人公には弱点を、ライバルには欠点を」と言っているのはそういう事なのでは無いかと思います。自分流にかみ砕くなら、損する弱点と、損している欠点、といった所でしょう。

 損する弱点が明確ならそこを攻撃されたときにハラハラしますし、損している欠点が明確ならこの人は一緒に居たくないと思わせることが出来ます。物語に親近感を産むものですので是非取り入れましょう。

損のデザイン

限定された期間
 あり
リソースの管理
 なし
明示された選択肢
 なし

分析と感想

 もっとも原始的なゲームの一つです。ゴールまでサイコロを振り、出目を競うというただの運ゲーに過ぎませんがベースがしっかりしているために色んな要素が乗せやすく、人生ゲームであったり、モノポリーであったり、いただきストリートであったり、桃鉄であったりと、数多くの派生作品を生み出しています。

 ただただサイコロを振るだけなので、出目は損になりうるものですが必ず一歩は進むし、必ずゴールは出来ます。このゲームは一人でやると損は一切発生しません。だから一人でやる双六は面白くありません。サイコロの出目が本当に損として機能するためには対戦相手が必要です。

 つまり、限定された期間というのは対戦相手がゴールするまでの期間、それまでに何マス進めるかをダイスに託すから面白さがそこに発生すると言う事になります。ただし唯の運ゲーなので比較的早い段階で限界は必ず訪れます。

 この運ゲーと言う欠陥を回避するために、ただ高い目を出せばいいわけではないというアレンジが成されたゲームが多数存在します。人生ゲームがいい例ですが、何かしら損をするマスだったり得をするマスだったりを用意します。すると、特に損をするマスに対してはそこに飛び込みたくないという思いから、よりダイスを握る手に力が入るようになります。

 あとはこれに交渉の要素やらお金のやり取りやらと言うリソースの管理を加えればモノポリーやいただきストリートに変化するし、どっちに進んでもいいと言う選択肢を加えると桃太郎電鉄に早変わりします。

 マス目からマスでの出来事など無限大のアレンジが可能なので、パーティの幹事等でミニゲームを企画する際には、これが一番やりやすいのではないかと思います。

リスクとリターン

 桜井政博氏曰く、ゲーム性とはリスクとリターンとの事です。双六のリスクとリターンについて考えてみたいと思います。

 ……といっても、純粋にいわゆる絵双六と呼ばれるものに関してはリスクもリターンも特に存在しなくて、常に一定の物しか存在しません。双六は上記でも書いていますがただの運ゲーです。選択や操作が存在しないためプレイヤーがリスクを選択すると言うようなこともありません。

 絵双六が楽しまれる要素は競争と盤に描かれた絵でしょう。一人でやって楽しいものでも無いですが、一緒に駒を進める相手が居ればそこそこ楽しめます。賑やかな絵は演出として大切で、個人的には紙芝居エロゲが好まれる要素に近いものが無いかなと思っていたりします。

 つまり、変化を用意してくれる対戦相手。ヒロインや友人キャラとストーリーですね。そして、背景に描かれた演出。ゲームとしてではなく出来事として楽しむにはこれで十分です。

 ストーリー上で主人公が窮地に陥ったり優位にたったりする場面は、盤面でコマが抜いたり抜かれたりする、その運ゲーによる見た目の変化にも置き換えられます。追い付いてきた、抜かせるかもしれない。そういうワクワクはゲーム実況等の観戦者の視点に近いものだと思いますし、楽しい体験が出来ればそれでいい訳ですから、ゲームではないがゲームとして楽しまれる不思議な双六は、ゲームを作る側としても時々振り返ってみるにはいい題材なのではないかなと思います。

 また、プレイヤーが練る戦略と言うものが必ずしも論理的である必要が無いと言う事も双六は示してくれているように思います。さいころをふる前に高い目が出ろと念じる様々な行為。儀式のようなものですが、あれをやる事でいい目が出たら次もそれをやろうとしたりします。実際はなんの効果も無いんですが、そういう儀式にはゲーム性を錯覚させる何かがあるのかもしれません。
  
プロフィール
HN:
色々ありすぎでどれを名乗ろうか
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性別:
男性
自己紹介:
素材屋GY.Materialsを運営。
TRPGや同人ゲームなどを制作。イベントプロデュース等。
P R
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