同人ゲームやフリーゲームはもちろん、ゲームデザイナーを目指す人、これからゲームを作りたい人、今もゲームを作っているがなかなかうまくいかない人向けの、ゲーム開発に関するブログ。
2025/04/03 (Thu)
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2016/07/01 (Fri)
笑いは「緊張と緩和」ではなく、「緊張の緩和」
自分はお笑いの芸人ではありませんし別に笑いを目指してはいません。が、ゲームを作るにあたってはそのどこかに笑ってしまう要素、特にシナリオを作る面ではある程度は必要になるし、結局のところゲームの面白いとお笑いの面白いはその度合いの強さの違いでしかないのではないかなと、そのように考えています。
もちろん、なんら実験データを持たない物ですし実践の成果もなく、試験もしていません。なので、ある程度の確信はあるものの、これを信じて犠牲になるのは自分だけで良いと思う。よって、仮説というカテゴリに放り込むことにしました。話半分程度に思って下さい。
よく「笑いの基本」は「緊張と緩和」と言われます。松本人志を筆頭とするお笑い芸人の間では浸透しているものですが、これの元は二代目桂枝雀が提唱した「緊張の緩和」で、一文字違います。違う点は1文字ですが大きな違いが有ります。
「緊張と緩和」、でイメージするものは「緊張があってから緩和があり、緩和の時に笑いが起こる」という順序だったものになります。松っちゃん自身、「緊張が良い感じに来てるからここで緩和」と言った旨の発言を本音ではしご酒にて披露しています。
対して「緊張の緩和」では「緊張した時に緩和するため笑いが起きる」という、反射的、生理的な人の作用をイメージします。一文字違いではあるが両者が示唆する内容は全く異なります。
言い換えるなら「緊張と緩和」は「順序」。「緊張の緩和」は「事故」で全く別の物を意味しています。どちらが正しいかは実際に笑いが起こっている所を分析すれば見えて来るかと思います。
自分が一番笑ったシーンと言うと、かつてリンカーンで放送された「帰れま10」で、松っちゃんが嫌いな罰ゲーム第一位をパネルから選ぶと言う企画でした。ここで、天野君が「人間ふりこ一斗缶撃破」を選びます。
10mの高さに釣り上げられ、そこから一斗缶の壁に向かって頭から突っ込むのですが、これで爆笑する瞬間は、一斗缶の壁と天野が激突した瞬間です。天野君が無事生還した瞬間ではありませんでした。
緊張と緩和のイメージによる手順で行くならば、一番笑う瞬間は天野が生還したところになるはずですが、実際には一番緊張が走った衝突の瞬間です。
そして、当の本人はこの罰ゲームの間一切笑っていません。緊張が一番緩和されたにもかかわらず、です。
桂枝雀氏の提唱した「緊張の緩和」にはある前提条件が有ります。それは、客席と言う安全な場所にいる、という前提が必須だという事です。そして度が過ぎないと笑えないという事。
実際、お笑い芸人らの芸をみて笑う瞬間、その当事者らは笑っているでしょうか? ザリガニに鼻を挟まれた出川さんは笑ってますか? もっと身近な話ではどうでしょう? 遊具で遊んでいる友達が自分で蹴ったボールにつまずいてこける、そんな瞬間、周りは笑うでしょうが本人は笑っているでしょうか?
基本的には他人の不幸だから笑うのであって、それが自分の身にも降りかかるかもしれない、と感じたり、イメージできる延長線だと笑えないものになります。
例として出されていたのは、金持ちで気取ってるオバハンがこけると笑ってしまうが、浮浪者で今にも倒れそうな人がこけると笑えないと言う話でした。倒れるのが予想できるからですね。
笑顔には健康にする作用が有りまして、特にストレスに対する耐性が非常に強くなるという医学データが有ります。口角を上げ、大きく口を開き目を細めた表情をは相手を威嚇するときの表情、今から噛みつくと言う表情だからと言われています。
ペットを飼ったことが有る人なら解ると思いますが、ある程度大きな動物はじゃれる時に甘噛みをします。要するにこの甘噛みが進化の過程で定着したものが笑顔で、安全だよと自分自身に言い聞かせるために行われるものが笑いなんだそうです。
ゆえに、人は極端な恐怖に接すると笑うし、その人の不幸に共感してしまうと笑えなくなります。が、完全な他人事として認識出来れば笑えます。
なぜか。
緊張を緩和するためです。
何か辛い出来事が有ったとします。数年減ると「今は笑い話なんだけど」と語ることができるようになり、実際に笑って話すのですが、笑い話になる前は悪口や愚痴として披露される事になります。
話の内容は全く同じだし語り手も同じなのですが、笑える話になる場合と笑えない話になる場合があります。これも笑いが「緊張の緩和」であって、「緊張と緩和」ではない証左ではないかと思います。要するに、語り手に取ってもう安全だ、もう無関係だと言い切れる状況にあるから笑いに変えれますが、まだ当事者である、という自覚がどこかにあると笑い飛ばすことが出来ません。
実はここに喜劇と悲劇のヒントが有るように思います。客席にとっても当事者として共感できるような内容であれば悲劇、客席にとって当事者ではないと認識できるようであれば喜劇になるのではないかと思うのです。
この当事者と錯覚するかどうか、共感してしまうかどうかのヒントは2つの場所から引っ張ってくることが出来ます。一つは論の提唱者、桂枝雀。もう一人は努力の人、島田紳助。
桂枝雀は笑いが起こる仕組みを分析して、落語にはこういうオチのパターンがある、と4つに分類したものを提唱しました。それぞれがどういうパターンかは各自調べてもらうとして、ここでは彼の説に重要な役割となっている「ホンマ領域」について書きたいと思います。
ホンマ領域と言うのは言い換えるなら「予想」や「期待」です。今話している内容がどんな方向に進むのかなと言う予想、この領域から逸脱した瞬間に笑いが起こる、と言う物です。
逸脱の形式がどのような物に分類されるか、で4種類に分類されてしましたが、いずれの場合も、「このお話はこうなるだろうな」と予想していたら思いもよらないおかしな事が起り、それが可笑しさを産むというのが基本的な理屈です。
上岡龍太郎との対談では子供をあやす時の話が例として挙げられていました。この時、「ぷるるるる……ばぁ」としたとき、「ぷるるる……」が緩和した状態で「ばぁ」が緊張した状態と桂枝雀は解説しました。これに対し、上岡龍太郎は「ぷるるる……」が緊張で、「ばぁ」が緩和かと思ったと聞き、桂枝雀は「そうとも言います」と答えましたが、これは相手を立てただけの話です。
ホンマ領域で考えると、「ぷるるる……」はこの先どうなるかは良くわからない。ただ、このまま小さくなっていくか、「ぷるるる……」が続くかと言った所が予想、期待の範囲です。そこへ突然「ばぁ」が来るのでホンマ領域を逸脱し笑いが起こります。
ホンマ領域とその逸脱は、別な言葉で言い換えると「慣れと異物」などになるかと思います。慣れさせたところや、こういったものだと慣れている物に対して突然違う物を用意します。そうする事でインパクトを産み、そのインパクトの度合が笑ったり、ホンマ領域で収まるようであれば緊張に変わったりするのでしょう。
ゲームで言うと超兄貴はこのメカニズムがふんだんに盛り込まれています。例えば、オプション。R-TYPEでは弾を打ち消すだけでなく攻撃にも使える頼れるフォース、グラディウスでは追尾してきて同じ攻撃をする頼もしいオプション、そして超兄貴では横に侍り攻撃をしてくれるのですがダメージを受けると離脱します。
それまでのオプションは一切離脱していないので、ホンマ領域ではオプションはある意味無敵です。それが自機よりも先に死ぬという逸脱。初見ではインパクトの強さゆえに驚きと笑いが起こりますが、それが理解できると今度はホンマ領域内に収まるため緊張へと変わります。
他にもラスボスの変身前がやたらと小さかったり、撃破後の変身直前、小さい光をふらふらと画面中央に飛ばせてからの両サイドからの挟み込みなど、元々の概念として「ボスは大きい物」という思い込みと、それまでのステージでの植えつけを裏切り、さらに視線と注意の誘導をしておいて突然の攻撃に対応できなくするなど、初見殺しによる笑いを上手く作り上げている名作です。
ホンマ領域とその逸脱は、さらに別な言葉に言い換えると「初見殺し」とも言えます。
島田紳助がNSCで講演した際、ネタの作り方について以下のように発言しています。
「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもろ無いねん。」
上記は短い漫才のネタの作り方について語られたものですが、これもホンマ領域と照らし合わせて考えてみると良く解ります。ストーリーにすると先が見える。先が見えるとこうなるだろうなと言う期待がそちらに向けられるため、その期待の通り進んでしまう。期待通りに進んでしまうと笑いは生まれません。
日本語の面白いには2つの意味が有ます。一つは興味深い、もう一つは可笑しいです。このうち、可笑しいはホンマ領域を飛び越える突然の出来事が必要です。逆に興味深い、は良く出来たストーリーによって生み出されます。

よくネタバレは面白くなくなると言うが、ストーリーがしっかりしている物に関してはネタバレをしても面白さは損なわれる事はありません。例えばガンダムの一年戦争は、何度もゲームでリメイクされているが、そこにネタバレしてるから面白くないと言う人は居ません。
逆に、可笑しいに関してはネタバレをすると面白さを損なってしまうことが有ります。ホンマ領域を外れる出来事を知らないから笑えるのであって、知ってしまうと笑いにくくなります。4回、5回と同じ動画を見るとそれに慣れて来ます。ここで何かが起きるぞ、と知っているとあまり笑えません。もう一度見たい笑いのシーンも、一回目に比べると、覚えているうちは笑い方が大人しくなるはずです。
よって、喜劇を作るか、悲劇を作るかでストーリーを重視するかどうか、どの程度重視したものにするかは決まってきます。感動して泣くもの、悲しくて泣くもの、あるいはホラーなど恐怖を与えるものは、綺麗な流れになればなるほど面白さが増します。逆に笑わせようとするならば、今までの話の流れとは関係ない突然の出来事を用意すると良いかもしれません。めいびー。
と、ここまで書きましたが、しっかりとした検証が行われている訳ではないので鵜呑みにするのは危ないとは思います。だが、「緊張と緩和」についても言葉だけが先行していて、実際にそういう検証がされているかどうかは怪しいと感じています。
松本人志自身、「緊張と緩和」と言う理屈には囚われていますが、彼のボケのタイミングはその理論へのこだわりは見られません。もしかすると、「緊張と緩和」には別の取り方があって、それを実践しているだけかもしれません。
ただ、このエントリーで一つの物差しのような物は用意できたのではないかと思います。あとは各自でこの物差しを使いながら色々と分析をしてみてもらえれば有難いです。
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「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもん無いねん。」
もちろん、なんら実験データを持たない物ですし実践の成果もなく、試験もしていません。なので、ある程度の確信はあるものの、これを信じて犠牲になるのは自分だけで良いと思う。よって、仮説というカテゴリに放り込むことにしました。話半分程度に思って下さい。
緊張と緩和か緊張の緩和か
よく「笑いの基本」は「緊張と緩和」と言われます。松本人志を筆頭とするお笑い芸人の間では浸透しているものですが、これの元は二代目桂枝雀が提唱した「緊張の緩和」で、一文字違います。違う点は1文字ですが大きな違いが有ります。
「緊張と緩和」、でイメージするものは「緊張があってから緩和があり、緩和の時に笑いが起こる」という順序だったものになります。松っちゃん自身、「緊張が良い感じに来てるからここで緩和」と言った旨の発言を本音ではしご酒にて披露しています。
対して「緊張の緩和」では「緊張した時に緩和するため笑いが起きる」という、反射的、生理的な人の作用をイメージします。一文字違いではあるが両者が示唆する内容は全く異なります。
言い換えるなら「緊張と緩和」は「順序」。「緊張の緩和」は「事故」で全く別の物を意味しています。どちらが正しいかは実際に笑いが起こっている所を分析すれば見えて来るかと思います。
笑いが起きる瞬間
自分が一番笑ったシーンと言うと、かつてリンカーンで放送された「帰れま10」で、松っちゃんが嫌いな罰ゲーム第一位をパネルから選ぶと言う企画でした。ここで、天野君が「人間ふりこ一斗缶撃破」を選びます。
10mの高さに釣り上げられ、そこから一斗缶の壁に向かって頭から突っ込むのですが、これで爆笑する瞬間は、一斗缶の壁と天野が激突した瞬間です。天野君が無事生還した瞬間ではありませんでした。
緊張と緩和のイメージによる手順で行くならば、一番笑う瞬間は天野が生還したところになるはずですが、実際には一番緊張が走った衝突の瞬間です。
そして、当の本人はこの罰ゲームの間一切笑っていません。緊張が一番緩和されたにもかかわらず、です。
緊張の緩和
桂枝雀氏の提唱した「緊張の緩和」にはある前提条件が有ります。それは、客席と言う安全な場所にいる、という前提が必須だという事です。そして度が過ぎないと笑えないという事。
実際、お笑い芸人らの芸をみて笑う瞬間、その当事者らは笑っているでしょうか? ザリガニに鼻を挟まれた出川さんは笑ってますか? もっと身近な話ではどうでしょう? 遊具で遊んでいる友達が自分で蹴ったボールにつまずいてこける、そんな瞬間、周りは笑うでしょうが本人は笑っているでしょうか?
基本的には他人の不幸だから笑うのであって、それが自分の身にも降りかかるかもしれない、と感じたり、イメージできる延長線だと笑えないものになります。
例として出されていたのは、金持ちで気取ってるオバハンがこけると笑ってしまうが、浮浪者で今にも倒れそうな人がこけると笑えないと言う話でした。倒れるのが予想できるからですね。
笑いとは現実に戻そうとする生理現象
笑顔には健康にする作用が有りまして、特にストレスに対する耐性が非常に強くなるという医学データが有ります。口角を上げ、大きく口を開き目を細めた表情をは相手を威嚇するときの表情、今から噛みつくと言う表情だからと言われています。
ペットを飼ったことが有る人なら解ると思いますが、ある程度大きな動物はじゃれる時に甘噛みをします。要するにこの甘噛みが進化の過程で定着したものが笑顔で、安全だよと自分自身に言い聞かせるために行われるものが笑いなんだそうです。
ゆえに、人は極端な恐怖に接すると笑うし、その人の不幸に共感してしまうと笑えなくなります。が、完全な他人事として認識出来れば笑えます。
なぜか。
緊張を緩和するためです。
笑い話と不幸
何か辛い出来事が有ったとします。数年減ると「今は笑い話なんだけど」と語ることができるようになり、実際に笑って話すのですが、笑い話になる前は悪口や愚痴として披露される事になります。
話の内容は全く同じだし語り手も同じなのですが、笑える話になる場合と笑えない話になる場合があります。これも笑いが「緊張の緩和」であって、「緊張と緩和」ではない証左ではないかと思います。要するに、語り手に取ってもう安全だ、もう無関係だと言い切れる状況にあるから笑いに変えれますが、まだ当事者である、という自覚がどこかにあると笑い飛ばすことが出来ません。
実はここに喜劇と悲劇のヒントが有るように思います。客席にとっても当事者として共感できるような内容であれば悲劇、客席にとって当事者ではないと認識できるようであれば喜劇になるのではないかと思うのです。
この当事者と錯覚するかどうか、共感してしまうかどうかのヒントは2つの場所から引っ張ってくることが出来ます。一つは論の提唱者、桂枝雀。もう一人は努力の人、島田紳助。
ホンマ領域
ホンマ領域と言うのは言い換えるなら「予想」や「期待」です。今話している内容がどんな方向に進むのかなと言う予想、この領域から逸脱した瞬間に笑いが起こる、と言う物です。
逸脱の形式がどのような物に分類されるか、で4種類に分類されてしましたが、いずれの場合も、「このお話はこうなるだろうな」と予想していたら思いもよらないおかしな事が起り、それが可笑しさを産むというのが基本的な理屈です。
上岡龍太郎との対談では子供をあやす時の話が例として挙げられていました。この時、「ぷるるるる……ばぁ」としたとき、「ぷるるる……」が緩和した状態で「ばぁ」が緊張した状態と桂枝雀は解説しました。これに対し、上岡龍太郎は「ぷるるる……」が緊張で、「ばぁ」が緩和かと思ったと聞き、桂枝雀は「そうとも言います」と答えましたが、これは相手を立てただけの話です。
ホンマ領域で考えると、「ぷるるる……」はこの先どうなるかは良くわからない。ただ、このまま小さくなっていくか、「ぷるるる……」が続くかと言った所が予想、期待の範囲です。そこへ突然「ばぁ」が来るのでホンマ領域を逸脱し笑いが起こります。
ホンマ領域とその逸脱は、別な言葉で言い換えると「慣れと異物」などになるかと思います。慣れさせたところや、こういったものだと慣れている物に対して突然違う物を用意します。そうする事でインパクトを産み、そのインパクトの度合が笑ったり、ホンマ領域で収まるようであれば緊張に変わったりするのでしょう。
ゲームで言うと超兄貴はこのメカニズムがふんだんに盛り込まれています。例えば、オプション。R-TYPEでは弾を打ち消すだけでなく攻撃にも使える頼れるフォース、グラディウスでは追尾してきて同じ攻撃をする頼もしいオプション、そして超兄貴では横に侍り攻撃をしてくれるのですがダメージを受けると離脱します。
それまでのオプションは一切離脱していないので、ホンマ領域ではオプションはある意味無敵です。それが自機よりも先に死ぬという逸脱。初見ではインパクトの強さゆえに驚きと笑いが起こりますが、それが理解できると今度はホンマ領域内に収まるため緊張へと変わります。
他にもラスボスの変身前がやたらと小さかったり、撃破後の変身直前、小さい光をふらふらと画面中央に飛ばせてからの両サイドからの挟み込みなど、元々の概念として「ボスは大きい物」という思い込みと、それまでのステージでの植えつけを裏切り、さらに視線と注意の誘導をしておいて突然の攻撃に対応できなくするなど、初見殺しによる笑いを上手く作り上げている名作です。
ホンマ領域とその逸脱は、さらに別な言葉に言い換えると「初見殺し」とも言えます。
納得したストーリーはおもんない
島田紳助がNSCで講演した際、ネタの作り方について以下のように発言しています。
「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもろ無いねん。」
上記は短い漫才のネタの作り方について語られたものですが、これもホンマ領域と照らし合わせて考えてみると良く解ります。ストーリーにすると先が見える。先が見えるとこうなるだろうなと言う期待がそちらに向けられるため、その期待の通り進んでしまう。期待通りに進んでしまうと笑いは生まれません。
日本語の面白いには2つの意味が有ます。一つは興味深い、もう一つは可笑しいです。このうち、可笑しいはホンマ領域を飛び越える突然の出来事が必要です。逆に興味深い、は良く出来たストーリーによって生み出されます。
よくネタバレは面白くなくなると言うが、ストーリーがしっかりしている物に関してはネタバレをしても面白さは損なわれる事はありません。例えばガンダムの一年戦争は、何度もゲームでリメイクされているが、そこにネタバレしてるから面白くないと言う人は居ません。
逆に、可笑しいに関してはネタバレをすると面白さを損なってしまうことが有ります。ホンマ領域を外れる出来事を知らないから笑えるのであって、知ってしまうと笑いにくくなります。4回、5回と同じ動画を見るとそれに慣れて来ます。ここで何かが起きるぞ、と知っているとあまり笑えません。もう一度見たい笑いのシーンも、一回目に比べると、覚えているうちは笑い方が大人しくなるはずです。
よって、喜劇を作るか、悲劇を作るかでストーリーを重視するかどうか、どの程度重視したものにするかは決まってきます。感動して泣くもの、悲しくて泣くもの、あるいはホラーなど恐怖を与えるものは、綺麗な流れになればなるほど面白さが増します。逆に笑わせようとするならば、今までの話の流れとは関係ない突然の出来事を用意すると良いかもしれません。めいびー。
注意事項
と、ここまで書きましたが、しっかりとした検証が行われている訳ではないので鵜呑みにするのは危ないとは思います。だが、「緊張と緩和」についても言葉だけが先行していて、実際にそういう検証がされているかどうかは怪しいと感じています。
松本人志自身、「緊張と緩和」と言う理屈には囚われていますが、彼のボケのタイミングはその理論へのこだわりは見られません。もしかすると、「緊張と緩和」には別の取り方があって、それを実践しているだけかもしれません。
ただ、このエントリーで一つの物差しのような物は用意できたのではないかと思います。あとは各自でこの物差しを使いながら色々と分析をしてみてもらえれば有難いです。
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「ストーリーにしたらあかんねん。ストーリーにしたら納得したもんになんねん。流れは綺麗や。でも、おもん無いねん。」
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